今月(といっても下旬までゆっくりするのだけれど)から海外駐在が始まるということもあって、この年末年始、例年になく多くの友達にあっている。なんだか自分が人気者にでもなったようでうれしい。ぼくにもこんな人生があったのかと思ってしまうほどである。どうやらぼくは、自分が思っている以上に友達が多かったようだ。
それで、そういう時よく「もう日本でやり残したことはないの?」と聞かれる。海外駐在が決まった昨秋は一時期週4で焼肉だったりとこれでもかというほど肉を食べさせてもらった(途上国では多くの場合おいしい牛肉にはありつけない)。
その時点でもう満足していた。
苦節何年だと思ってるんだ
だってぼくはずっと自分にとって良い機会というのを求めていて、いつか国際協力とかで海外で働きたいなと22歳頃からなんとなく考えていて、その頃はただ願っていただけだったけれど25歳頃から真剣にその方法を考え始めていたわけだから。
今年28歳なわけで、6年もかかってしまっている。昨日今日でじゃあちょっと海外で働いてみようかなって考え始めてようなことではないのだ。ずっとずっと望んでいたことで、ずっと意識高く、その機会を伺っていた。
東京で営業の仕事を始めて台湾と東京を行き来するようになってもその気持ちは変わらなかったし、むしろその気持ちは強くなった。
その時々の彼女にも同じように、ぼくは将来国際機関で働きたいと思ってるんだと語っていた。神戸で謎のぷー太郎をやっているときから言っていた。正直、痛い奴だったと思う。学生時代にスタディツアーに参加した経験こそあれ、なんの実績もなければ、その目途も何にもないのに、デカいことを言っていたから。口だけじゃんって振られたこともあるし。
それでも、ぼくは6年も周りに言い続けてきた。
正直、ずっと売れない若手芸人をやっている気分だったし、自分自身もう無理かな、現実をみた方が良いかな、と思っていた時期もある。
いや、その時間の方が多い。上の記事の時はそのピークぐらいにヘコんでいた。というか現実を受け入れ始めていた。完全に諦めムード。強がって色々言ってたけど、何をやってもやろうとしても上手くいかない状態だった。
その記事を書くのにも、「ぼくの人生こんなはずでは…」を受け入れる準備ができるまで2~3か月かかってる。
だから準備はもうとっくにできてる。
傍から見たら人生順調そうに見えるけど
人前で弱音を吐かないからか、仲の良い人にも「人生楽しそうで良いね」と言われる。言われてきた。やっぱり人は良いところしか見えてないんだなと思う瞬間だ。
たしかに上手くいったことしか周りには言ってないけれど、その倍以上失敗はあるだろうと思う。天才じゃないぶん、試行回数を上げて成功数を稼がないといけないから、いっぱいチャレンジして山のように失敗した。弁理士だってそう。法律専門職っていう亡霊に囚われていたし、講座に50万円くらい払ったのに何の成果もなかった。
お金をかけた失敗が多い分、基本的にお金は常にないし、いまだって綱渡り。
自分の家計が火の車だというのに、周りを見ると、仲の良い人たちでさえ結婚していっていて子どももいたりする。
ぼくは一体今まで何をやっていたんだと思う瞬間で胸が締め付けられる。
だってぼくには何もないから。
思えば、ぼくは前しか見てなかった
でも、そんなことは事前にわかっていたことだ。何かを選択するということは、時になにかを諦めないといけないということでもある。足りないものの数を数えても現実は良くならないし、仕方ない。できることの数を数えた方が建設的だ。
思えば、ぼくは卒業式だって何だって泣いたことはない。泣く人の気持ちがわからないというわけではない。ぼくにだってそれくらいの人間的な部分はある。
ただ、ぼくは卒業して失うものよりも、次のステージでできること、起こることが楽しみで、常に未来に希望を持って来た。
どんなことができるだろう、どんな人に出会うだろう、それはぼくの人生に何をもたらすだろう。
ぼくはとてもポジティブなのかもしれない。
Look at the bright side!
ここ数年、いろんなタフな相談も受けるようになって、ますます良い面を見よう、探そうという気持ちが大きくなったように思う。
でも、これから難しい社会課題に取り組もうと言うんだから、ポジティブじゃないとやっていけないよなと思う。
これで良いんだと思う。そう信じたい。