どうしてぼくはこんなところに

されば銘記せよ!人の命は短く、その住まう処は地の狭き片隅なり

バケットリストについてのとりとめのない話

 

人生の100のリスト (講談社+α文庫)

人生の100のリスト (講談社+α文庫)

 

 先日、久しぶりにバケットリストを更新しようと思った。

目的はもちろん、達成できたことを記すためだ。

 

www.chadyukio.com

 

年明けからしばらく海外で生活での生活が始まるというもあって、結構達成できてるんじゃないかと思ったのだ。

田舎の生まれで東京で生活し、思えば遠くへきたもんだなんて思っていたのだけれど、ふたを開けると全然。

むしろ、まだまだ未達が多いのはもちろん、目途すらたっていないのが大半だった。

それでも、久しぶりに自分のバケットリストを見て、たしかに自分のやりたいことばかりだなと思うのと同時に、これからの数年で自分にとって重要なところは達成できる可能性が十分にある、つまりは自分が思うような人生を生きつつあるという気がしてきた。

例えば、ぼくはそのリストの中に「海外で外国人として働く」なんていうのがあるんだけれど、まさにぼくは年明けからそれを満たすような仕事に取り掛かることになる。

でも、厳密には微妙に異なる。

ぼくはあくまで日本人としてその外国で外国人と仕事をすることになる。

その国の人たちにとってはぼくは外国人だけれど、たしかに要件は満たすから達成にしようとしたけれど、ちょっと待てよと思ってしまった。

このバケットリストをつくった当時(たぶん4~5年前)、イメージしてたのは国連ないし国際NGOで、日本人として政府から派遣とかではなくてほんとに能力を買われてのポストを得ることを想像していた。ところが、ぼくが年明けから着くポストは完全に日本人枠で、言ってしまえば下駄をはかせてもらっている。それが、どうも腑に落ちない。応募も日本語だったしね。

それがいまいち納得できないというのと、たぶんその次のキャリアで日本人枠でないポストに手が届きそうな気がしている。つまり、焦って納得できない内容で確定させてしまうよりも少し待った方が良いんじゃないかと思っている。

もう少しで手が届きそうだと思うと、えらく長い時間がかかってしまったけれど、小さいことでもコツコツ続けてきてよかったなと思って少し感慨に耽っている。すでに。

もっとデカいことができるかもしれないと自分の人生にすっかり期待してしまっている。

ビル・ゲイツが以前、

Many people overestimate what they can in 1 year, and underestimete what they can in 10 years (人は1年で達成できることを過大評価し、10年でできることを過少評価する)

というようなことを言っていたけれど、ぼくもついにそれを実感するときがきている気がしている。