どうしてぼくはこんなところに

されば銘記せよ!人の命は短く、その住まう処は地の狭き片隅なり

取り組みの本気度が違い過ぎて自分が恥ずかしくなってしまった。マザーハウス代表、山口さんの著書を読む

裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~ (講談社+α文庫)

裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~ (講談社+α文庫)

 

 今さらながら、山口絵里子さんの「裸でも生きる」を読んだ。強烈過ぎて、濃すぎてびびってしまった。

著者について、著者の取り組みについて簡単に紹介すると、「途上国発のブランドをつくる」を理念にバングラデシュでカバン等を製作して販売しているマザーハウスを経営している。

ウェブサイトはこちら。 

www.mother-house.jp

 

ずっと著者の名前と大雑把な活動内容は知っていて、いつか著書を読みたいなと思ってずるずる数年が経過していた本だった。

たまたま最近図書館で見つけた、かつ、ぼくの仕事がNGOでマーケターっていう社会起業的なニュアンスの強いものに変わったというのもあって、良いタイミングだと思い手にとって読んだのだけど、冒頭の通り強烈過ぎた。

小学校でいじめにあい、中学校でヤンキーとなり、工業高校へ進学し男子柔道部へ入部。大学は慶応義塾。そこで開発経済学に出会い、アメリカの国際機関でインターンを経験後、バングラデシュの大学院に進学。卒業後、マザーハウスを立ち上げ現在にいたる。

経歴をざっと書いたけれど、激しすぎる。良い時も悪い時も常に全力で問題に向き合って人生を駆け抜けてる人だなぁと思う。常に楽な方を選んできたぼくの人生とは大違いである。恥ずかしくなる。

そろそろ本題に入ろう。

本書の中で、「途上国発のブランドをつくる」と彼女は決意を固めるわけだけれど、彼女のキャリアから言えば、わざわざそんな茨の道を選ばずとも、アメリカの国際機関でのインターンの実績を引っ提げて容易に就職ないし、アメリカの大学院に進学できたはずだ。

だが、彼女はそのインターン活動中に、大きな疑問を持つ。それは、その国際機関で働く人たちは途上国の人が実際にどんな生活をしているのかも知らなければ、実際に訪れたこともなかったのだ。途上国を対象とした支援活動を行っているのにも関わらず、実際の現場を見ず、現場から上がってくるレポートをもとに数字をいじくってるだけに彼女には見えた。そして、実際の現場を見ずしてほんとに途上国の課題を解決できるのかと疑問を持った。疑問を持った後の彼女の行動は早く、当時アジア最貧国だったバングラデシュを単身旅行する。目的は、貧困を自分の目で見て経験するため。

道路を始めとするインフラは整っていないし、人もみんな彼女をだましにかかっているように感じる。彼女はそれらを、それもこれも全部貧しいから、貧しさが人の心も荒ませてしまうんだと感じ、彼らの世界を変えたいと思い、なんとその旅行中にバングラデシュの大学院に受験しに行き、合格判定をもらってしまう。

ところがその大学院の同級生は卒業してもリキシャのドライバーの仕事しかないと嘆き、仲が良かった同級生の女の子には「わたしを日本に連れて帰って」と懇願される。高学歴であっても職がない、希望がないという現実に貧困の根深さを目の当たりにする。

そして、技術に見合った報酬が得られるようにと、買い叩かれないようにと、途上国発のブランドをつくる決意をし、メイド イン バングラデシュのカバンを製造販売するマザーハウスを立ち上げる。

立ち上げてからも、信頼して生産を依頼していた人たちに何度も騙される。号泣する。それでも彼女はあきらめない。

ブランドをつくるということは、バングラデシュの人たちの境遇がかわいそうだからその商品を買うというのではいけない。その製品がすばらしいから買うというレベルにならないといけないわけで、それは品質に妥協することはあってはならない。

そのため、彼女自身カバンのデザインを学校に通ってゼロから勉強する。

たぶん、山口さんは不器用なんだと思う。不器用だけれど、真っすぐで純粋な分、周りが応援したい、なにか手伝ってあげたいと思わせる。そんな雰囲気をまとっているんだろうと思う。

もし私たちが空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう「その通りだと」

-エルネスト・チェ・ゲバラ-

 理想を実現せんとするチェ・ゲバラの話を思い出した。

なにが言いたいかというと、理想に向かって真っすぐ取り組む姿勢というのは、本人が意識していなくとも、ぼくのような人間にとってはたまらなくかっこよいものなのだ。

ぼくもそう強くありたいと思う。

 

 

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