どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

早くもブログ読者と会うことになった!巡り巡って今度は与える側に

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1月の末に、いつかブログ読者に会いたいというポストをした。それが早くも実現しそうだ。まぁ、ぼくが望んだカタチではなさそうであるけれど。

ぼくは現在、中南米に駐在してるんだけれど、たまたまそこに留学に来てる大学生がぼくが書いてるこのブログとは違う、私的な日記ブログの方を見つけて、会えませんかという話になった。

 なので、どちらかというと同じ国にいる奇特な日本人として見られているのだと思う。環境保護系のINGOのプログラムらしい。春から4年生で5月に帰国だったかな。

帰ったら就活するんだろう。参考にならない話をしてやろうと思う。

 

この感じ、すごく懐かしい。

というのもぼくもいまから7年ほど前、セブにいたときはそんな感じだった。

当時、ちきりんさんだったか有名ブロガーがセブ英語留学の体験記事をアップしていて、セブ留学が爆発的に流行り始める手前の時期で、良いように言えば感度の高い人、悪く言えばちょっと変わった人たちが集まっていた。(ぼくは地方大学生だった当時、ちきりんさんを知らなくて、全く別ルートから安く英語が学べるというので行っていた)

学生3に対して社会人7くらいの割合だったろうと思う。世代もバックグランドもバラバラだったけれど、すごくおもしろい人たちが集まっていて、ぼくの人生観にも大きく影響を与えてくれたのはもちろん、今でも連絡を取り合っていたりする。ぼくはただの大学生に過ぎなくて個性的な人たちの発言や零れ落ちる価値観を拾い集めて、そんな考え方があるんだ、そんな感じでも大丈夫なんだと学んでいた。今思うと恥ずかしいくらい背伸びして傲慢だったろうに、ほんとすごくかわいがってもらった。(今もだけれど)

 

今思うとほんとに贅沢な環境だったと思う。当時、同じ時間を過ごしていた人の中から何人かは起業して、そのうち3人はメディアにも度々登場するほど大成功している。場所はシンガポール、東京、シリコンバレーという凄さ。大企業の駐在になった人もいれば、参謀としてスタートアップも渡り歩く人もいた。

 

そんな人たちと同じ空気を吸っていたんだ。ぼくの目線も当然高くなる。

 

ぼくが今も変わらず意識高い系として、ああでもないこうでもないと悩んだりするけれど、人と違う道を選ぶことを躊躇しないのは彼らの影響が多分にある。

 

7年経って、ぼくもようやく、少しずつではあるけれど彼らの役に立つようなこともできるようになって(実際、ちょっと仕事手伝って、協力してと言われてる)、すごく感慨深いと感じるとともに、ぼくも当時の彼らと同じような年齢になっているわけで、ぼくも与える側にならなくてはと思っていた。

 

その矢先のことだ。

今いる環境も当時と同じように、途上国で日本人が少ないからか歓迎会を開いてもらったし、よく集まったりしている。政府系の人たちからプライベートセクターの人たちまで様々なバックグラウンドで、あと台湾と国交のある国にいるので台湾人の援助関係者も。

そしてその学生は突然現れた。ぼくにもようやくそういう役回りが巡ってきたんだなと思った。もちろん聞かれてもないことをベラベラと説教臭く、偉そうに言うつもりは毛頭ない。必要としてるらしいことを必要なぶんだけ、ぼくができることを与えてあげられればと思っている。

 

というか、ぼくより優秀な可能性だって十二分にある。となればぼくからは何も言うことはない。たぶん日本語での会話が恋しいのだろう。満足するまで話してあげようと思うし、聴いてあげよう。

 

かつてのぼくがそうしてもらったように。