どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

外国の友人に自分の国で会うということ

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今年の夏、3年前の夏に神戸で会ったインドネシア人の友人たちに会いにインドネシアを訪れた。

 

3年前、彼らは医学生として神戸にひと夏留学しに来ていて、暇だったぼくは「せっかく来たんだから観光はしないとだめだよ」なんて言って、京都へ連れてったり日本食を食べに行ったりしていた。

当時、あの界隈で一番働いてなくて暇だったぼくはなんだかんだで彼らと過ごした時間は最も多かったと思う。ガンダムインドネシアでも流行ってるけど、ガンプラは日本より高いから日本で仕入れて向こうで売れば儲けがでるだとか、抹茶が好きだとか、もちろん文化の違い、宗教、恋愛含めていろんな話をした。ぼくがハラルショップで仕入れてきたテンペを料理していっしょに食べたりもした。

経済力に差があるだろうから、連れ出す時は一切彼らにお金を出させなかった。半分冗談で「Now, you owe me a lot(お前はオレに借りがいっぱいできたな)」とか言って、ぼくが君の国に行ったきに盛大にもてなしてくれれば良いんだよ、なんて言ったりしていた。

心がきれいでとても優しい青年たちだった。ぼくは彼らと出会う数年前に既にインドネシアを訪れていて、主要な観光地は周っていたから、たぶん再訪してもバリ島だろうから彼らの住んでるところからは遠く、行く機会はないだろうなと、彼らとの別れ際に思ったのを覚えている。

それが、今年、急に火山が見たいと思い立ち、最初に思い浮かんだのはインドネシアで、そこは彼らの住む地域からそう遠くないところだった。そんなわけで、当時いっしょに遊んでいた友人と2人で彼らと彼らの国で会うことにした。

お互いFacebookInstagramで繋がってるから、おおよその近況はわかっている。3年ぶりだけれど、そんなに久しぶりの気がしなかった。

3年の間に、彼らの1人はしっかりお医者さんになって病院で働き始めていて、もう1人は研究者として海外に行こうかどうかと考えたりしていて、2人とも結婚の予定もあり、王道で成功の約束された人生を歩まんとしていた。

その間、ぼくは何をやっていたかというと、神戸から東京に引っ越し、仕事で海外に行くようになったもののキャリアに悩み、恋をし、失恋し、都会人の孤独を存分に味わう一進一退の人生をひっそりとおくっていた。彼らと違い、新たな社会的地位を得ているわけでもないのに、かつて500円以下の宿を探して回っていたバックパッカーだったのに、いつの間にかルーフトップバーとプール付きのホテルでないと嫌だと言うようになり、もちろんシャワーは温水必須だし、なんならトイレはウォシュレットも必須と言わんばかりの尊大な要求をするようになっていた。

どんどん駆け上がっていく彼らと同じところをぐるぐる回っているだけのぼく。端的に、彼らが眩しく、素直に羨ましかった。

彼らはぼくたちにとても良くしてくれたし、楽しかったし彼らも嬉しそうだったけれど、そんな負い目もいくらかあって、もう会ってはくれないかもしれないなという思いがどこかにあった。まあ、彼らはエリートだけれどぼくは違うものな、仕方ないなと思っていたのだけれど、後日Instagramでとてもうれしいことをアップしてくれていた。

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簡単に訳すと、

2015年の8月のことを思い返すと不思議に思ってしまう。ぼくとエドウィンがあの時君たちと出会ってなかったらなんて今じゃとても想像できないんだ。だいたい、君らのような海外の友達ができるなんて想像してなかったし期待もしてなかった。あのときぼくらを気にかけてくれてありがとう。君たちがいなければぼくは京都とか観光地めぐりをしなかったろうと思う。アニメでしか見たことないようなおいしそうな日本食和食屋で食べることもなかったろう。ありがとう。

 

 

これを読んで、ぼくはすっかりうれしくなってしまった。今回、彼らの優しさにつけこんで、朝5時にたたき起こして3時間車を運転させてわざわざぼくらの滞在してる地域まで来させ、翌日仕事なのに1日連れまわしたのを少し反省した。

同時に、自分の国で外国の友達と会うっていうのは、うれしいことだよなあと改めて感じた。だってわざわざ高いお金を払って、飛行機で何時間もかけて移動しないといけないわけだから。それだけの労力をかけるっていうのは、それに見合う魅力がその国か、その友人、あるいはその両方にあるということの表れだろうから。

思えば、ぼくらの間に少しばかりのぎこちなさを感じたのは、もう彼らがぼくに会ってはくれないかもしれないなと感じたのは、英語を彼らは以前ほど話す機会を失ってしまっていたからだろう。英語は使わなければどんどん忘れていってしまうものだから。読んだり書いたりはしてるだろうけれど、話す機会はこの3年ほぼなかったんだろう。その言いたいことはいっぱいあるけれど言葉が出てこないというのは、ぼくも山程経験があるし、今だってそうだからめちゃくちゃわかる。

だってぼくらのLINEのやりとりはめちゃくちゃ盛り上がるのだ、ぎこちなさの理由はそうに違いない。たぶん対面での若干の気まずさを彼らも感じていて、そのフォローの意味合いも込めてのInstagramへのアップだったのだろう。なんていいやつなんだ。

そんなことを思いながら、彼らのうちの1人が来年結婚するというので、まだ誘われてすらないけれど「インドネシアスタイルの結婚式か、初めてだな」なんて思いながら行く気まんまんでいる自分に少し笑ってしまう。

次会うときは、ぼくだってもっと英語でいろんな表現ができるようになっていたいなあ。もっと、いっしょに笑いたいことがあるし、もっと冗談を言い合いたいんだよ。

 

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