どうしてぼくはこんなところに

されば銘記せよ!人の命は短く、その住まう処は地の狭き片隅なり

人の自分探しの旅を笑うな

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蝉の鳴き声で毎朝目覚める季節になった。夏だ。少なくない数の若者たちが自分探しの旅と称して少し長めの旅行に行きがちな季節でもある。そしてそれを「海外旅行行ってもホントの自分なんて見つからないからwww」なんて嘲笑う様子が観測される季節でもある。

 ぼくはそれらを不快感を持って眺めている。

前者の若者に不快感を感じるのは、無知でキラキラしていて眩しいから。ぼくの人生に訪れたことのないことを見せつけられている気がするから。孤独感に苛まれる暗い人生を送ってきたぼくにとっては嫉妬の対象でしかないのだ。

だから大いに結構。存分にやってくれて構わない。ぼくも旅に出ることはあるし旅に救われたこともある。

後者に不快感を感じるのは、自分と同じような人な気持ちを持った人たちもいるんなんだろうなと思うと同時に、何もわかっていないように感じるから。

ぼくは思うんだけど、自分探しの旅というのは己の中に眠れる才能を開花させるために旅にでるのではない。

日常生活の中で、「あれ、ぼくの人生ってこんな感じで進んでいくの?」「この満員電車をあと50年くらい乗り続けないといけないの?」「これ、ほんとにやりたいことだっけ?」みたいな疑問が発露してどうしようもなくなって立ち止まってしまう。

そんな自分を冷静に外から眺めようとする無意識の営みのひとつなんじゃないかと思う。これは自分の人生に何の疑問も抱いたことない幸せな人たちにはわからない。

例えば、都会の喧騒を離れて南の島に旅行するとする。

そこにはその土地のルールがあり、リズムがある。電車も通ってなくて、バスも時間通りに来ない。Wi-Fiは遅いし所得レベルも自分の半分以下かもしれない。

けれど、そこに住んでいる人は幸せそうに見える。

なぜだろうと考える。自分の方が彼らよりたくさん稼いでいるし、最新技術も簡単に手に入るしWi-Fiも早いのに、なぜ自分は疲れてて幸せを感じていないんだろう。

あるいは、やる気のない尊大な態度の店員さんにびっくりすることもあるかもしれない。

ヨーロッパに出かければ、彼らの日本人とは違う生活スタイルに憧れるかもしれないし、自分以上にみんな家族やパートナーを大事にしていると感じるかもしれない。

とにかく、その旅から帰ってくると、自分の国を、自分の住む地域を、それまでとは違った目線で見ることができてしまう。それは無意識的なものに留まるかもしれない。けれど、確実に自分の中に変化を起こる。だって、自分が生活する「世界」の常識や価値観とは違う世界を経験したのだから。

自分の住んでるマンションの風景も最寄り駅も同じ、人々の顔ぶれも同じ。けれど何かが大きく違っている。周りの人は、あるいは自分もその違和感が何なのかわからないかもしれない。

井の中の蛙大海を知らず、から大海から再び井の中へ戻ってくる体験。

自分の人生で大事なのは何なのか、それを考えるきっかけを探しに行こうというのだ。

レールの上を歩く人生でなく、自分の人生を自分足でしっかり立って選ぼうとする人たちを間違っても笑ってはいけない。

 

 

 

 

 

人のセックスを笑うな (河出文庫)

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