どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

東京に来て変わったこと

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先日、28歳になった。アラサー真っ只中。

1週間くらい前に2つ下の妹の結婚が決まったというのにぼくってやつはそんな話題もなければキャリアに悩んでいるしで、ここ数年同じ問題を抱え続けているという成長のなさ。

 

実は今年応募してなんとか海外院への留学の足掛かりにしようと思っていた、JETROの開発スクールは今年から一般公募を取りやめてしまって挑戦する機会すら与えられなかった。自分の運のなさに一晩引くくらい泣いた。

だって留学するチャンスを掴むために2年前、神戸から無一文で東京に来たわけだから。後発的に国際協力の分野に行きたいと思ったぼくのような学部時代のGPAが低い人間にとってはJETROの開発スクールのビッグプッシュとつながりがないと上手くやっていけないだろうと容易に想像できてしまったから。唯一といっても過言ではない希望だったわけだから。

その道が自分起因でないところで閉ざされてしまった。東京初年度にトライしとけよって話なんだけど、その時は英語力の要件が足りてなかった…。

おまけに、今年の弁理士の試験もダメだった。こっちはほとんど勉強時間取れてなかったから自業自得だけれども。来年リベンジするけれども。これに関しては、受かった受からなかったというよりもその前提のインプットの時間が十分取れてないというところに、なんというかアラサーになっても自分の計画性の無さというのか、プロジェクト管理の見通しの甘さが光る。

次こそは、来年こそは!と決意してる自分に期待してる自分が8割な中で、自分の器の大きさを正確に認識する時期に来ていると冷静に感じている自分もいる。

つまり、俺は世界を変えるんだ!とか年収何千万もらって、広い家に住んで…みたいな大それたことを考えず、すぐそばにある小さな幸せで満足できるように自分の欲望を小さくする努力をした方がいいじゃないかと。いわゆる自分のアイデンティティの根幹を揺るがすというか、「こんなはずでは…」を受け入れる中年の危機に直面し始めている。

と、自分のダメなところを語りだすと果てしなく沈んでいってしまうので、東京に来て良かったこと、できるようになったことを2つあげたい。

素直に褒めることができるようになった

ぼくは我が強いというか自分が優秀だと思いたい人間で、俺が俺がとなりやすくて、なんでもかんでもケチをつけたがる傾向にある。悔しいとか嫉妬とかそういう感情を背後に隠せず、なんとか張り合おうとしてしまう。

それは今でもそうなんだけれど、すごいものにはすごいと素直に言えるようになった。もちろんそういうすごいことができる人に嫉妬はするけれど、その才能とか境遇を認めることができるようになった。

これは東京に来ないと起こりえなかったぼくの変化だと思う。

要因はアートと人。

東京は大小さまざまなギャラリーや展示会がいたるところでやってていろんあアートに接することができる。神戸にいたときもいろんなところに足を運んでいたんだけれど、量は質を凌駕するというか、東京で開花したように思う。

大小様々というと実験的なものから名作まで幅広く多様にあるわけだけれど、作品の完全性を求めるより、良い点、新しい表現に目を向けるようになった。「この作品のここ良いな、すごいな」と思えるようになった。

東京にはほんとに色んな人がたくさんいて、ぼくの理想としてるキャリアをミスなく寄り道なく真っすぐ歩んでる年下君や、親の仕事の関係で世界中を転々としてらから英語、スペイン語、中国語が話せておまけに容姿端麗な人だとかキラキラしまくった目立つ人がたくさんいる。格差というか境遇の差を感じる瞬間でもある。

それで、あるとき気づいてしまった。

そういう人たちに嫉妬していちゃもんをつけて自分を正当化しようとしたところで、現実は何も変わらないのだ。彼らのせいで自分の人生が良くないというわけでももちろんない。

一方的に円滑なコミュニケーションのチャンスを阻害するより建設的に何かをやった方が良いと思うようになった。それに、褒めるってポジティブな言葉を発することだから、少し自分が明るくなったような気もする。

あと、それに関連して関西だとサブいとかクサいと思われるようなことも言えるようになったのは東京に来たからだと思う。

英語を使う機会が増えて英語力が上がった

神戸にいたときもインターナショナルなシェアハウスに住んでいたから英語を使う機会というのはたぶん普通の人よりは多かったんだけれど、東京は英語を流暢に話す日本人が多くて、それに刺激を受けてきちんと勉強しようと洋書を読む習慣がついた。

最初は1冊読むのに2~3か月かかっていたけれど、最近は1か月に1冊は読める程度に英語力が上がってきた。語彙力以外にも英語をいちいち日本語に翻訳してから理解するのではなくて、英語のまま理解できるようになってきてるということだと思う。

ほんとは英語のブログもライティングのためにやりたいんだけれど、1記事書いただけで習慣化まで至っていない。これは次の目標で、できれば今年中に月2記事くらいアップできるようになりたいなあ。

 

まあ2つなんだけれど、年始に掲げた目標はもう今年は達成できないことが確定したっていう悲しい状況なんだけれど、少しずつではあるけれどできることが増えていて、それに気づくっていうのはいいことだと思う。

たぶん、この1年もいっぱい失敗してへこんだりするだろうけど、しっかりへこめるようにチャレンジはしたいし後悔のないように備えはしたいなあ。