どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

共同親権のアレは日本のソーシャルセクターの一番ダメなところ

留学が終わり日本に帰国すると、日本のニュースがばんばん入ってくる。その中でしばらく前に共同親権についてのネット上というかTwitter上の議論で思わず頭を抱えてしまった。ソーシャルセクターのダメなところが可視化されてしまったなと思ってしまった。それは非常に頭が痛い問題でもある。ほとぼりが冷めたところで振り返ろうと思う。

 

露見した背景の議論

本題からズレるし、特定の誰かを小ばかにしたいわけでもないので、共同親権をめぐる議論については詳しくはふれないが、知る限り、マジョリティは共同親権に肯定的ないし、拒絶感はないのだけれど、実際にシングルマザーや子供たちを支援しているソーシャルセクターの人たちは共同親権にめちゃくちゃ反対している。「DV夫に親権を認めると、母子に危険が及ぶし子の成長に悪影響」だとしている。

これはたしかにそういう被害に遭う人もいるだろうから真実なのだろうが、現状の単独親権では現実の運用として母親が子供を連れ去っても母親に親権が認められているし、母親は特段の事情なくとも父と子の面会を拒否できてしまっている。それが問題であり、今回共同親権についての議論が本格的に始まっている理由でもある。なぜなら、夫婦の離婚自由というのは夫からのDVに限らないから。浮気、性格の不一致、すれ違い…いろいろある。にもかかわらず、単独親権で、実質母親が親権を得て面会を拒否できてしまうような制度でよいのか、という議論が行われている…はず。

そしてあの発言…

なので、現状無視されている、守られていないDV以外で離婚した父親の権利(子供との面会、親権など)は、公共の福祉の名の下に現状を甘受せざるを得ないほど一般的な離婚事由として夫からのDV被害が深刻なのか、離婚事由の大半がそうなのか市井の人々はデータをだしたりして具体的な数字でああだこうだ議論をしている様子を眺めていたのだけれど、暗澹たる気持ちになったのは下記の発言。

DV被害者は女性が多いのに対して、殺人になると女性:男性が6:4と均衡することを元に、女性の加害が隠れているという主張ですが、サスペンスドラマなどから推察するに、ひどい被害に耐えかねた女性が思い余って男性を殺す、という展開が非常に多いことをお伝えします。DVの最大の悲劇だと思います

Somewhere in Twitter

まずぼくは荒らしじゃないかと、この発言主のプロフィールを見にいった。そしたらNPOの代表ということでどんよりしてしまったのと、いよいよこの問題と真正面から向き合う時が来たのだなという気持ちになった。

なにかを意見するとき「私は〇〇だと思います。なぜなら…」と発言の根拠を求められる。その根拠というのは、だいたいにおいて、相手を説得するためのものなのだから定性的か定量的なデータを持ち出す。つまりはもっともらしい理由が必要だ。

たとえば、「お母さん、私も中学生になったから自分のスマホ欲しい。みのりちゃんも持ってるし、なつきちゃんも今度買ってもらうって言ってた」みたいな「おねだり」という交渉の中にも、「クラスの80%の人がスマホ持ってる」みたいな具体的な定量データは示していないけれど、定性的にみのりちゃんとなつきちゃんという具体例をだすことで、その2人が似たような家庭環境であったりすると、お母さんはそういう時代かと納得するかもしれないし、仲間内で1人だけ持ってなかったらハブられるかもしれないと想像力を働かせてくれるかもしれない。

どんな根拠を説得材料として持ち出すかは、その人のセンスと相手によるのだけど、共通するのは現実であるということ。たとえば、ここで「テニスの王子様の〇〇だってスマホ持ってるから私も欲しい」と言ったところで通用しないのはなんとなくわかるだろう。いや、それマンガやんと言われるのがオチだ。関係ないから。

なのに、「サスペンスドラマなどから推察するに…」なんて言ってしまっている。擁護のしようがない。一発アウト。根拠が誰かの想像というフィクションを持ってくるのは明らかに不適切で、議論の場にでるような人物ではない。現実とフィクションの区別がついてないから。そんな人とまともな議論なんてできない。

けれど、悩ましいかな、ソーシャルセクターってこういう人多い。完全にぼくの主観だけれど。

共感力の高い人たち

思うに、NPOとかで国際協力や社会課題に取り組む人っていうのは共感力が高い。だからこそ、社会課題を目の当たりにしたときに深く心を動かされて、なんとかしないとと自分でアクションを起こせるのだと思う。災害ボランティアなんかにも躊躇なく行けてしまう。ぼくは基本的には傍観者だから素直に彼らをすごいと思っている。ぼくにはない行動力がある。

で、ぼくが課題だなぁと思っているのは、上記のような人が対象に対して時に過剰に共感してしまって周りが見えなくなったり、正しいことをしているんだからみんなも同じように思っているはずだと何の疑いもなく信じきってしまっているパターン。

前述のNPOの代表もこのパターンに陥っているのではないかと思う。DVで離婚してなおDVの後遺症に苦しむシングルマザーの境遇を身近に見ているのだろう。だからこそ、彼女らがまた苦しむ可能性がある共同親権というのは到底受け入れることができないのではないかと思う。

これはその一面においては正しいのだろうけれど、ちょっと視野狭窄に陥ってしまってはいないかと思ってしまう。冷静さを失っている。論理的というか場合分けができていない。DVで苦しんだシングルマザーしか見えていなくて、その他の人たちにまで考えが及んでいない。そして、彼らにとってはそれが絶対正義なので彼らに意見する人は、それが議論というかたちであっても敵意を感じてしまう。なので、件のNPOの代表は、エビデンスをドラマのストーリーから取ってくるのは不適切では?という指摘に対して攻撃だと受け取ってしまい、「こんなのは言論封殺だ!」なんて言ってしまっている。これはもちろん、大量のリプライが届いたのもあるだろうが、自らの過ちを直視できておらず、これからも顧みることはしないであろう点において暗澹たる気持ちになる。

誓っていうけれど、ぼくは共同親権だろうが単独親権だろうが別に構わないと思っている。が、適切な議論を経て結論をだしてほしいと思っている。その点において、この論法は正しくないと指摘しているに過ぎない。

その適切なマネジメントが我々には求められている

社会課題を自分事と捉えて、前のめりになって課題解決のために働いてくれたり助けたりすること自体はすごく良いことだと思う。その仕事に金銭的リターンなんてないことの方が圧倒的に多い。マイノリティーだろうし、資金難や人材不足もあるだろうし、それが故に、興味を持ってもらう、引き続きサポートしてほしいと思うものだろうから、あまり身内には厳しいことを言えない。間違いを指摘しにくい環境があると思う。

よくリベラルが小ばかにされるのもここに主因があるのではと思っている。身内に甘いが故に、結果として粗いアイデアがブラッシュアップされず視野狭窄なままでてしまうのではないかと思う。ほめて伸ばすと言えば聞こえはいいけれど、現実は臭い物に蓋をしてきた結果だ。

そしてぼくは少し前までソーシャルセクターにいたのだけれど、研修とかでいっしょになる人とかほんとに上記のような人ばかりで疲れてしまった。たぶん、あの発言のなにが問題かって界隈の人に聞いても答えられる人は少ないと思う。

もちろん、課題としっかり向き合って指摘して改善していくことが必要なんだけれど、できないだろうなと思う。だって「NPOは変わらなければいけない!」って20年くらい前から聞いてたような気がするけれど、去年の勉強会で未だにそれ言ってたもの。