どうしてぼくはこんなところに

されば銘記せよ!人の命は短く、その住まう処は地の狭き片隅なり

自己肯定感は大事!大丈夫、俺は良くやってるよ

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アラサーにもなってこんなことを言うのもおかしなことだけれど、ようやく精神的な落ち着きを感じだした。具体的には、嫉妬している自分を冷静に感じることができるようになってきた。

ぼくは劣等感を感じやすい。

自分と同世代や下の世代で自分より優秀な人を見ると、自分が情けなくてたまらなくなる。

英語を流暢に話す人や、それに加えて中国語やスペイン語もマスターしてる人。プログラミングもできて容姿端麗…みたいな絵に描いたような人たち。

同じ時代を同じ時間過ごしてきたはずなのに、ぼくは今まで何をやっていたんだろうと惨めになる。

 昔は、「ただ英語ができるからってだけで優秀なわけではない」「ただの帰国子女で運が良かっただけ」なんてエクスキューズを作って無意識に妬み、自分を守っていたんだけど、そんなことをいつまでも言い続けても、英語も中国語もスペイン語もプログラミングもできない自分の現実はなにも変わらないとようやく気づいた。彼らの人生と自分の人生は関係ないのだ。

10歳までNYで、10歳から18歳まで香港だったから英語と中国語はできる、ちなみに大学はハーバード♡みたいな人には抜群に嫉妬するし、いいなあと思うけれど、昔ほど心かき乱されなくなった。彼らがどんなにラグジュアリーで良い暮らしをしていようが、なにか自分が損するわけでないから。

 

思えば、電車も通ってなくて、たぬきとかイタチを追いかけて育ったような関西の田舎出身で、外国人も中学と高校でAETの3人しか見たこともないような環境だった。在日韓国人や中国人でさえ大学まで会ったことなかった。親戚で一人東京に単身赴任している人はいたけれど、他はみんな関西に住んでいたし、英語を話す人も当然いない。

父は大卒で、母もわりと教育熱心で大学は行きなさいという方針だったから当たり前のように神戸の大学へ進学したけれど、なにも言われなかったら地元を離れることはなかったろう。いやだったとかでなく、単純にそんな発想はなかった。

高校進学のために中学の時は塾に通っていたけれど、その先の大学なんてのは、うっすら聞いたことある程度で、大学に行けばどうなるのかなんてまったく想像もできなかった。高校は部活をやるために行くのだと思っていた。

その部活も、15歳にしてわざわざ親元を離れ、部活のために寮生活をしたわけだけれど、結局最後までレギュラーになることはできなかった。

大学進学後、司法書士になろうと、たいして遊ぶこともせず、友達も作らずにそれなりに勉強したけれど、結局なれなかった。

卒業後も諦めきれず、3年ほど勉強をしていたけれどだめだった。

失敗、失敗で、つくづく自分が嫌になった。

得たものはなにもないのに、失ったものがあまりにも大きかった気がした。

 

そんなぼくが、東京の競争社会でなんとかやってる。中小のメーカーで、小さいながら重要な部門のいくつかの責任者をやってるんだから人生なにがあるかわからない。

 

人見知りにもかかわらず、15歳のあのときから、だれも知らないところでの生活を続けてきた。神戸で、一時期はフィリピンやインドで。そして東京で。

もちろん、良い機会を求めて地元を離れたのはぼくが初めてではないし、ぼくのような境遇の人なんで何百万人単位でいるだろう。

それでも、ぼくの家族では初めてのことだし、当然、ぼくの人生にも初めてなこと。

やりたいことは山ほどあって、全然満足なんてしていないんだけれど、それでも、これまでの道のりを思い返すと、自分でもすごいなと思うことがある。小さいながら多くのハードルを越えてきたなあと。

よくやってると思う。だって19歳までTOEICなんて知らなかったし、読み方もわからなかった。それがいまじゃTOEICは800点超えてるんだし、英語でしかコミュニケーションが取れない友達もたくさんできて、海外一人旅も電車で隣の駅に行くくらいの感覚で行ける。

仕事も、まだ2年目で業界のことをよくわかってはいないけれど、任されている特定の分野では社長と議論するし、意見を求められてる。

 

たぶん、ぼくはまだまだこれからもアホほど失敗して、えらくヘコむだろう。それでもたぶん、ぼくは挑むことを止めないと思う。

それは、どれかが、いつかは報われるとこれまでの経験からわかっていて、立ち止まることが一番の危険だということをこれまでの経験からわかっているからだと思う。

 

 

写真は2012年7月、フィリピンにて。

日本語だけの環境から急に英語だけの環境にきて疲れきって昼間から寝落ちした、ぼく