どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

異世界転生モノのマンガをアマゾンアンリミで読み漁った話

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数年前から異世界転生もの(≒なろう系)が流行っている。コミカライズもたくさんされている。ぼくは食わず嫌いで、現実社会でいけてない人たちが「俺スゲェェェ!!」を追体験して溜飲を下げるコンテンツだろうと思っていてぼく向けのコンテンツではないなとスルーしていた。

それが、ひょんなことからアマゾンアンリミテッドで結構な数の異世界転生ものが小説版もコミカライズ版も読めることがわかり、同時に結構な数のラインナップがあるということは市場がそれなりに大きい証拠だろうとも思い、いつまでも食わず嫌いを決め込むのもよくないかと思い、とりあえず一冊読んでみた。

 

結果、印象ががらりと変わったし、なんとなく売れている理由がわかったような気がした。

 

ぼくが持ってた偏見の「現実世界で社畜だったりするイケてない会社員が交通事故や過労で倒れて異世界へ。そして、会社員として培った経験やスキルがなぜかチート級で無双してウハウハ」みたいな展開は結構あるけれど、それはあくまでも一要素に過ぎなくて、本質は別にあるなと感じた。

 

ぼくが思う本質は、世界観(≒プラットフォーム)の共有で、作者は世界観を作りを省け書きたいストーリーまで最短距離に近いくらい創作のハードルが下がり、読者は世界観(ドラクエ+ファイナルファンタジーの世界観)を常識的に把握しているので、いちいち魔法が、ゴブリンが、賢者が何かを説明されなくてもわかっているから、世界観を理解するのにエネルギーがかからない。つまりは気軽に読める。これは凄まじいことだと思う。

 

小説を読むにおいて一番大変なのはその小説の世界観を掴むことだ。ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟は名著でめちゃくちゃ面白いが、読み始めが一番苦労する、挫折する人が多い。日本人読者にはロシア名は読み慣れていないし、その舞台の時代がどんなものかのイメージを持っているわけではないからよくわからない。SF小説にしても、様々な架空のテクノロジーがでてくるのでそれらの名前とどう機能するのかを理解するかにエネルギーがかなり使われる。結果、もの好きしか読まないものになってしまう。

 

現代人はただでさえ普段から意識せずとも膨大な情報を接種して生きているので脳が消耗している。疲れている。疲れているとしんどいことはしたくない。つまり難しい勉強などをエネルギーが枯渇した夜に行うには余程の精神力がいる。わざわざ小説の世界観の新しい概念を理解しようなどという人はいない。余程のもの好きでないかぎり。

 

だから、テレビのコンテンツも頭使わない単純なものばかりだし、YouTubeの人気コンテンツも手軽に楽しめるものが占めている。コンテンツのハードルを下げる(≒頭使わなくていい)は数字を取る上で正義となっていると言って過言ではない。

 

活字離れもこのあたりが原因なのではないかと思う。手軽に楽しめるコンテンツがテレビ、インターネットといろいろある中で、文字を読み自分で脳内でイメージを膨らませるなんていうのは、いくら文字は情報量が多いとはいえ、負担がかかりすぎると解釈されているのではないかと思っている。

 

なろう系はそのボトルネックになっていた世界観の把握を、読者の常識(多くの人がRPGゲームがどんなものか少なくともなんとなく知っている)から借りてきて、その上で物語を展開している。なろうのサイトには膨大なコンテンツが日々投稿されているのだと思う。

 

その中で、数撃ちゃ当たるではないが、いくらかは質が高かったり「ありそうでなかった」設定やストーリーで注目が集まり、出版化され、あるいはイノベーションとなり業界の底上げがされているのではないかと思う。

 

これは興味深いなと思いながらすっかりぼくもハマっている。

 

 

最近見つけた中で、おもしろいなと思ったのがこれ。魔王を倒しに来た勇者が「世界の半分をやろう」と言われあっさりその条件をのみ、魔王と勇者で共同統治することに。しかし、天界からそれ贈与税かかりますよ言われ、節税のためにあれこれする話。税金の仕組みを楽しく学べるし、単純に読み物としておもしろい。2巻からは金融政策というか経済政策の話になっていき目が離せなくなってく。

 

 

上記のマンガを読んだときに、まず思い出したのはこれ。こっちはファンタジーを読みながら経理の仕組みを学べるし、ぜんぜん小難しい話ではないからすごくすごくおすすめ。