今宵は夜市が開かれる。
10年ほど前、そういう書き出しから始まる怪しさを孕んだ不思議な小説を読んだ。
たしか、恒川光太郎の夜市だと思うのだけど、妖怪の類いが好きなぼくはその書き出しを今でも覚えている。今それを思い出したのは、ここでの情景の雰囲気がそれに似ているように思えたからだろう。
懐かしいような見慣れないような、知っているようで知らない気のする怪しく不思議な雰囲気。
九份。
台湾旅行のハイライトとも呼ばれる定番で人気の観光地。
4度目の台湾出張でようやくぼくにも観光の機会が巡ってきた。
台北市内からバスに揺られること1時間半。
うねうねした坂道をいくらか登った先に九份はあった。
着いた。が、バス停から降りても写真でみたようなそれらしい場所は見当たらない。
写真でよく見る九份のあれは、小路を入っていった先にあった。
何のどこの肉なのかよくわからないものを店先に出している食堂を通り過ぎる度に、ああ、これは誠に千と千尋の神隠しの世界であるなぁと感慨に耽った。
懐かしいような見慣れないような、知っているようで知らない不思議さの出処はやはりここが日本ではなく台湾であるからだろう。文字であったり、食べ物だったり文化の微妙な差異が不思議さを与えてくるのだろう。
そして、夜であるが上にその差異が怪しさを帯び、どこか異なるところに迷い込んだような不安を呼び込み、そうしてできた心の隙きに妖怪を想像する余地を与えているのかもしれない。
人気観光地で人は多いはず―そして多くの場合ぼくはそういったところが苦手―だけれど、ほとんど気にならなかったのはぼくがしっかり感慨に耽ることができたからだろう。
久しぶりにどっぷり妄想に耽ることができて、静かだけれどじんわり濃く楽しめたように思う。