何歳になってもフットワークの軽い人でありたいと思っている。現実のぼくはキラキラしてないスーパーインドア派で、気乗りしなければすぐ「今忙しいんで」ってそっけない態度と取りがちなんだけど。
なぜフットワークの軽い人でありたいと思っているかというと、自分には見えていないいろんなチャンスを逃したくないから。そういう思いもよらぬことに出会うためにもハードル低くいたいから。そうすればいろんなお誘いや情報が入ってくると思うから。頼りにされるだろうから。
1000に3つでも、おもしろいものに出会える可能性があるから。
よく、読書は能動的でテレビは受動的だ、みたいなことを言う。それは読書の場合は自分で取り入れたい情報を選ぶけれど、テレビの場合は取り敢えず点けるだとかニュース番組で自分の想定してなかった、興味なかった情報に出会い摂取することになるから。
なにが言いたいかというと、インドア派はだいたい想定内の情報しか摂取しない、良くも悪くも見たいものしか見ない。狭く深い。能動的。
対して、社交的な人は同じ人とつるみ続けない限り、自分の想定外の情報・機会に出会うことがあると思っている。なにが起こるかわからない可能性をはらんでいる。広く浅い。受動的なことだと思う。
ぼく自身はさっき書いたような意識高い気持ちはありつつも、内向的で極めて大人しいタイプだからほとんどできていない。だって疲れるから行きたくないんだもの。
それでも、友だちからはよく「その行動力がすごいわ」なんて言われる。
ぼくとしては、特別なことだという意識はこれっぽっちもなくて、それしか選択肢がないから極めて普通のことだと思っている。将来の限界集落真っ只中なド田舎の出身で、立身出世のためにはるばる都市にでてきてるわけで、より大きなチャンスを掴むためには、か細かろうが糸を手繰り寄せるし、危なかろうが橋は渡らないといけないのだ、生き残るために。(繰り返しになるが、これらはあくまでも「気持ちは」の話で現実はそれほどストイックなわけでもなりふり構わないわけでもない。)
それで、引っ越ししたいとか、新しいことやりたいとか口では言いながら全然行動が追いついてきてない友人を見ながら思ったんだけど、たぶん所有物の量の問題だろうなと思った。
ぼくにはすごく気の合う友人が何人かいるんだけど、そのうちの1人があるとき「やっぱり一度きりの人生だし、男だし、なにか成したいみたいな気持ちはあるよ」と言った。上っ面だけの自分に酔ってる系の人じゃないから、少なくともその大小はともかく気持ちはあるんだろう。
なにかチャンスを探っているというよりは、待っている感じ。
紹介したり、誘ったりしてもいつだって「でもなぁ〜」なんて言っちゃう典型なアレなんだけど気づいたことがある。
車を持っているから引っ越すにしても新しい駐車場見つけたり手続きだとか、なにかと面倒くさいのだと。処分ならなおのこと。家具だって重たいし、引越し業者も高いし、荷物をまとめるの時間かかるし、きっと1日じゃ終わらないして面倒くさいことがいっぱいで、考えただけでも億劫になる。
まあ、ほいほい引っ越しをできちゃう人もすごいと思うけど、ぼくはそれくらいフットワークは軽くいたい。そういう「めんどくさい」だとかいうよくよく考えるとしょうもないことで躊躇ったばっかりにチャンスを逃したくないのだ。
実際、ぼくは東京に引っ越すと決めてから引っ越しまで2ヶ月。家具付きシェアハウスに住んでいたぼくの荷物はスーツケース2つとバックパック1つ分。これはイコールぼくの財産。非常にコンパクト。スーツケースの1つは事前に送っておいて、他の荷物はぼくといっしょに新幹線移動だった。
ちょっとした長期の旅行気分で神戸から東京に引っ越した。いまの仕事も東京に着いてから探した。傍から見たら無謀に見えるかもしれないけれど、なんとかなった。
結果論と言えばそれまでだけど、今もそうだけど根拠のない自信があった。
まあこの掴んだ機会が、良い機会だったかは今後のぼくの働きというかどう活かすかにかかっているんだけど、今のところ良い機会という印象。
荷物を少なくしておくと、いつだって移動の面倒くささが減る。それだけで行動範囲は広くなる。
故に、ぼくはミニマリストとは言わないけれど、自分のモノを増やすことに他の人より抵抗がある。そんなに?と思うかもしれないけれど、それくらい人生に制約を増やすことに関して敏感なのだ。
ぼくは大きな買い物、車だとか家だとかいうのは人生に錨を下ろすようなものだと思っているフシがある。なんだかその地に落ち着いてしまう気がするのだ。
ローンがどうこうとか言われてしまうと、さらに参ってしまう。ますます新しいこと、ちょっとリスキーなことはできなくなってしまう。すると、そういう考えが選択肢に上がってこなくなって、早晩、そういう考えを持っていたことすら忘れてしまう。
ぼくはそれが怖い。なんだか可能性が閉じていくようで。
とはいっても、現状のぼくを客観的にみると、ひとつのころにリスク取って落ち着けない中途半端やつ、良くて器用貧乏といったところか。
それでもぼくは自由を求め彷徨い続けたい。
納得するまで。
それで、いつか上の写真に映えるくらいキラキラしたい。