もう終わってしまった展覧会の紹介をするのもどうかと思うのだけれど、写真を見直していてすごくよかったなと思ったのでその備忘録。
100年に1人の天才だとか、日本のピカソだとか言われた画家、加山又造の展覧会が5/5まで恵比寿でやってたのでそれに。
京都の天龍寺の天井画「雲竜図」がたぶん一番有名ですかね、ぼく的に。
正直に言って、ぼくはほとんど知らない人なんだけど、彼の世界観を現代的に解釈するっていうテーマで彼の作品とデジタルを融合させた展示会になってました。デジタルの表現はとりあえず見ておこうという興味で見に行ったわけです。
圧倒的に良かったのは、火の島ですね。デジタル化されてて、風が右から左へ流れていていて色合いもピンクが強めになってて現代的に解釈された作品に仕上がってる。
暗い空間でビビッドな色使いなんでそれはそれは目立つわけですね。もともとの作品も力強いですし。
それまでのエリアで、ピカソ的で幾何学的なシマウマとかも見てたんですけど、いまいち心にグッと来なかったんですよ。今回の展覧会のカラスの絵も含めて。写真も撮ってない。
静謐な美しさだとか、Less is More 的な詫び寂びを受ける感性が弱いっていうこともあるんでしょうけど、ぼくだってピカソ、マティス、ベーコンに若冲、加納永徳だとかいろいろ見ていて、言うなれば、お腹いっぱい感があるんですね。
ぼくが日本画を極めるというマインドではなくて、手っ取り早く新しい表現だとか刺激を作品に求めているというのも大きいです。
だから、最初の猫の絵とか繊細で綺麗なんですが、ずば抜けてすごいかというと、あのレベルならゴロゴロいるかなと。少なくとも現代では凡庸かなと思うわけです。当時は新規性があったのかもしれないですが、現代に生きるぼくには既にいろいろ見ちゃってる分、目新しくないわけですね。
深く知れば知るほど凄さがわかるっていうのも理解しているんですけど、ただでさえ刺激の多い現代でわざわざそこまでする価値あるかねっていう卵が先か鶏が先かみたいな話になる。
そんな中で、火の島っていうのは見事でした。あとでオリジナルもググって見たんですが、オリジナルでも同じく感動したろうと思います。
加山が桜島を見たときその火山という人間にはどうすることもできない強大な自然への畏れなのかなんなのかわからないけれど、そこに圧倒的な何かを感じたんじゃないかと思うんですよね。それは人によっては信仰の対象にするようなレベルの。その神々しさろ畏れが表現されてるんじゃないかと思う。加山の目にはそう映っていてそのまま表現した作品なんじゃないかと感じたのです。
言い換えると、加山がこの作品が生まれた1960年頃に桜島を見て感じたことを、この作品を通して、約60年という歳月を経てもなお、まったく同じ感情を感じることができる作品になってるんじゃないかと思うわけです。それってかなりすごいことで、たぶん現代に生きるぼくが桜島を見に行っても同じように圧倒的な存在として感じることができるかというと、たぶん無理なんですよね、テレビでキラウェア山の溶岩の映像とか見てしまっているから。それらに比べると全然恐くないじゃん、大げさだなあって思ってしまう。どうしても。
でも、当時は今ほど世界中のニュースも見ることはないだろうし、テレビも出始めくらいだろうしで、情報がはるかに少ない時代。火山というのは知識として知っていても、火事以外で山から煙が昇る光景なんて想像できなかったろうと思うわけです。
ぼくだって身近で火山噴火なんて経験したことないから身近で現実に起こることとして捉えてないですけど。経験したことないから想像できないわけです。想像できないから恐さがわからない。
でも、作品を通して同じ気持ちを感じることができる、共有できてる。すごい。
良い体験をしたなと思いました。
今回の展示会の趣旨というか、メインテーマは加山という天才でも挫折や苦悩はあったんですよ、それを乗り越える人生だったんですよというもので、静かな野心をたぎらせた雰囲気のインスタレーションになってました。