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フェアトレードの不都合な真実を見よ!「Unfair Trade」

 

Unfair Trade: The shocking truth behind ‘ethical’ business

Unfair Trade: The shocking truth behind ‘ethical’ business

 

 いま、それなりの大きな企業には社会貢献というか、要はCSR活動が求められていてるような雰囲気がある。ぼくたちの身近なところにも、カップのコーヒーなんかを買うと、売り上げの一部はどこどこの森の環境保護に使われます、みたいなロゴや認証があったりする。いわゆるエシカルというやつ。フェアトレードもある。本書は、なんでもかんでもフェアトレード!みたいなことをアピールしてるけど、ほんとにフェアトレードなの?フェアトレードって、エシカルってそもそもなによ?

 と疑問に感じた著者が世界中を巡って、「フェアトレード・ビジネス」の実態に迫ろうとするルポである。

ぼくはもともとフェアトレードなんていうものには懐疑的だった。

 

あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実

あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実

 

 それは学生時代にこのピエトララボリの本を読んだからというのが大きい。

(意訳すると、多国籍グローバル企業が途上国で製品を生産するとなると、学生たちは「安い賃金で途上国の人を搾取してる!」と叫びがちだけれど、それはごくごく一部の偏った見方で、大多数は工場の設立によって、もともと農業が主要産業だったその土地に雇用が生まれ、人々の可処分所得が増え、発展するんだ、という本)

 フェアトレードは、ぼくの理解では「安く買うんじゃなくて適正価格できちんと買おうよ」という運動だと思っていて、それはつまり途上国の品質のいまいちなものを先進国価格で買うということで、だれがそんなものに高い金を払うんだという話になってくるから理に適っていないと思っている。だって、安いから多少品質が劣るのには目をつぶっているんだから。そうやって安いものを買い続けている間に、品質は改善され、その途上国も豊かになっていくんだから。順番があるでしょ、と思ってしまうのだ。

良いものは高く買ってくれる、という感覚をわかっていなければ、品質アップに対するインセンティブがないから品質はいまいちなまま。お情けで高めの金払って買い続けてくれるなら良いけれど、そんなうまくいかないでしょ。サステナビリティはないよね、と思ってしまう。

話が横道に逸れ始めたところで元に戻すと、

著者はアフリカのカカオやコーヒー、茶の農家、銅鉱山、中南米のロブスター漁師、カンボジアのゴムプランテーションアフガニスタン大麻農家などを巡って取材している。

〇〇アライアンスのように途上国の農家からコーヒー豆を安く買い叩くのはやめよう、ウチは「適正価格」で買ってるんだよ、エシカルでしょロゴを発行している団体がある。多くの企業がその認証を取って、適正価格で原料を仕入れていることになっている。

嫌味な書き方をしたのは、完璧な適正価格とは言えないからだ。もちろん買い叩くようなことはしないけれど、決められているのは買取価格。この価格設定は激安というわけではない。いくらかエシカルな内容だ、見た目は。不完全なのは市況によって価格が変動しないことだ。農作物の場合はどうやって豊作不作の波がある。自分のところが豊作でもよそも豊作なら価格は下がる。その場合、農家は最低買取は予め決まっているから助かるかもしれない。(たいてい、どうやったって農家が儲かるようにはなっていないけれど)

供給より需要が多ければ、価格は上がるけれど、それはこのフェアトレード認証団体の契約には盛り込まれていない。つまり、原料価格が高騰しても、この認証を受けている団体は市況より安い価格で原料を仕入れることができてしまう。

実際、とあるチョコバーのメーカーがプレスリリースで、この認証を取得したのでエシカルです宣言したとき、その買取価格は市況の3分の1ほどだったのだそうだ。

これはフェアトレードと言えるだろうか。

 コンゴの鉱山労働者は、自分たちが普段掘っている鉱山が反政府組織に占拠されたばっかりにその地区全体の鉱物が欧米諸国の輸入禁止措置なってしまい、命がけ*1で獣道を通ったりや川渡りをして欧米の輸入禁止地区に指定されていない地区に鉱物を持っていって売ろうとする。

 中南米のロブスター漁師は、ロブスターがアメリカで高く売れるからと減圧症になりながら、時には後遺症と闘いながら、日々ダイビングを行う。

東南アジアの奥地で伝統的な暮らしをしていた人たちも、ゴムのプランテーションができたばっかりに、資本主義の世界に放り込まれた。たしかに、所得レベルは上がって様々なものを買えるようになったけれど、以前ののんびりした暮らしはできなくなってしまった。

アフガニスタンの農家は、見つかれば政府によって焼き払われてしまうのにアヘンを育て続ける。せっかく育てた普通の農作物も市場へ売りに行こうとすると市場までの道すがら反政府組織に通行料だなんだとお金をせびられ、市場に着いた時には作った農作物が全部売れてもすでに赤字。一方、アヘンは育てれば業者の方から引き取りに来てくれるから楽なのだ。イスラムの教義では禁止されているけれど、死ぬよりはマシという絶望的な現実がある。

さて、ではどうすべきなのだろうか。絶対的な答えはまだない。けれど、現状が正しいとは決して言えない。

ただ、ひとつの解として、途上国の農家には朗報がある。

 技術の発展と環境が整った(世界中の人がスマホを持ち始めた)というのもあって、仲介業者なしに、現地の農家から直接お金のやり取りをして、コーヒー豆や茶葉を仕入れる人たちがでてきている。彼らは、一定の品質のものを作ることができるのならそれに見合った価格で買うというオファーをだす。しばらく前に話題になったサードウェーブコーヒーの事業者もこの形態が多い。間に入って、利益をかすめ取る中間者がいないぶん、利益は双方に上がるし、農家の方も、具体的にどこをどう改善すればより高く買ってくれるようになるのかというのがわかる。さらには、エンドユーザーの顔やプロダクトや商品の姿を見ることで、自分たちのやっていることに自信を持つようになるのだそうだ。

このあたりが、以前紹介した本に書かれていた

www.chadyukio.com

 フェアトレードが最近また注目を集めている、というところの理由だろう。

 ぼくの知人にも  Minimal - Bean to Bar Chocolate  というチョコレート屋をやっている人がいて、まさにフェアトレードで、農家の人たちの生活レベルも、もっというとその地域の経済力も上がるようなことをやっている。

アフガニスタン近辺ではサフランの需要が非常に多いそうで、これがその地域一体のビッグビジネスになりつつあるそうだ。そうすると、各地域でそれぞれ高品質が求められる農産物というのはありそうで、これからはそれらが地域の所得レベルを上げる要因になっていくのかもしれない。

漁業は遅かれ早かれ養殖になっていくのだろう。

鉱物資源は少なくとも経済制裁ではない形で反政府組織にダメージを与える方法を模索しないといけないだろう。

 

きれいごとを言うのは簡単で、現実はいつだって厳しいけれど、希望がないわけではないというところにハードさがある。昔に比べれば、少しずつでも世の中は良くなっていると信じたいのだけど。

 

 

 もちろん、和訳版もあります ↓

フェアトレードのおかしな真実――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た

フェアトレードのおかしな真実――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た

 

 

*1:アフリカはそもそも道路がきちんと整備がされていないどころか、危険な野生動物がうようよいるなかで、ロバに鉱物を背負わせて運ぶ