どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

わざわざしんどいことをやるのは何もドMだからってわけじゃない

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ぼくはインドア派で運動もジムで効率よく筋肉をイジメるタイプだけれど、実は登山も好きで神戸に住んでたときは六甲山によく登っていた。

それで、そういう話をすると、たまに「どうして休みの日にわざわざしんどいことをしたいと思うのかわからない」なんて言われることがある。

なんでよりにもよってそこに着目してしまうんだろと思うんだけれど、冷静に考えて、たしかにしんどい時間の方が多い。達成感を味わえるのは多くの場合一瞬で、どれだけ噛み締めても数分程度だろう。

割に合わない気がしてきた。

けれど、今日もジムに行ってきたし辞めようとか思ったことはない。登山にしたって今は時間が十分に取れないから行けていないだけで行けるなら行きたい。

なぜだろうと少し考えたんだけれど、しんどさを乗り切れば確実に報われるというのが経験的にわかっているからだと思う。筋トレなら、負荷をかければその分筋肉が成長する。スタイルも良くなる。より重い重量を上げられるようになる。登山の場合はもちろん山頂からのきれいな景色が待っている(…はず)。

ここからは少しメタファーが入ってくるのだけど、しんどい時期を乗り切れば新しい景色が見えるようになる。筋トレなら、視点が変わるし普段から自分(そして幸か不幸か周囲の人の)の筋肉に着目するようになる。それまで見えていなかったものが見えるようになる。

登山ならもちろん、山頂から別の山をあるいはより眺めの良さそうなスポットが見える。

仕事にしても、ぼくは知財マネージャーになってしまったものだから週末も漏れなくお勉強に費やされることが圧倒的に多いわけだけど、それを嫌だと思ったことはない。行政書士試験に受かった時に感じたのだけれど、これくらいやれば十中八九報われるというのが感覚的にわかるようになった。それに単純に日々、知識が蓄積されていくにつれて、視点が変わる。見えていなかったものが見えるようになる。

単純に世界が拡がる。

その感覚が非常に心地よい。

その感覚を一度でも味わってしまえば、多少のしんどさなんて気にならなくなる。

だって、自分の世界が拡がるってことは自分の可能性も拡がっているということだから。

多くの人は幼少期の夢をピークにしてだんだん萎んで、小さくまとまってしまうものだけれど、自分の可能性が拡がれば、これまでの自分とは違う人生が待っているわけで、それは単純に素晴らしいことだと思う。

ぼくはすっかり味をしめてしまったものだから、来年の今頃の自分が何をやっているかが楽しみで仕方がない。

 

 

 参考図書:

残酷すぎる成功法則  9割まちがえる「その常識」を科学する

残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する