どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

(ようやく)知財ブログ始めます-第1話そもそも知財とは-

最近、企業がテックブログをやることのメリット10。また、懸念の解消法 というブログ記事を読んでなるほどなーと思ったので、ぼくは企業でもエンジニアでもないけれど、自分のスキルアップと長期の流入を期待してぼくの本業の知財についての記事を定期的にアップしていこうと思う。

栄えある第1回目はド定番、そもそも知的財産とはなんぞやというところから。

知的財産にはいろいろと種類があるけれど、知財法的には、特許、実用新案、意匠、商標、著作権なんかに分類される。特許っていうのは詳しく知らなくても、「あぁあれか」と思うそれ。実用新案は簡単にいうと特許のシンプルバージョン。意匠とはデザイン、見た目の権利。商標はiPhoneだとか企業の製品名について。最近、色の商標なんてのも登録できるようになって結構おもしろい(実務的には、誰がみてもわかるカラーバリエーションでないと登録は難しいようで難度が高い)。著作権は、こういう文章だとか音楽だとかの表現物を守るもの。コピペだめだよ、勝手に編集して改良するなよ、とかネット上で日常的に揉めてるのがこれ。

要は知財というのは発明とか、いろいろ最初に思いついた人が損をしないように保護してくれるものと思ってもらえれば間違いではない。

 特許法第1条には、「この法律は、発明の保護および利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする」とある。

産業の発展が目的の法律であり権利なのだ。

特許権が認められれば、20年間その発明を独り占めできてマネするやつには文句言えるのに、産業の発達が目的がどういうことなの?って思うかもしれないが、それは「独占的に使える」というはインセンティブであってメインは「発明の公開」だから。

特許制度がなければ、発明者たちは自分たちが苦労して発明したものをマネされると、それまでの研究資金や開発時間への投資分が十分に回収できない。努力が報われない。一方で、マネした方は事前投資分なんてないのでタダで発明をコピーできてしまう。

そうなると極端な話、まともな人はバカらしくて発明をしなくなる。発明をしなくなるということは、新しいものが世に出なくなるということ。それはつまり、社会の発展が阻害されてしまう。

あるいは、発明を徹底的に隠すようになる。みんなが発明を隠せば、発明がないわけではないから社会は少なからず前進する。けれど、各々が発明を隠してしまっている分、とある企業が10年前に発明したものを別の企業が莫大な金を研究開発費をかけて「新たに」発明する、なんてことも起こりうる。

こういうのを重複投資というのだけれど、社会全体でみるととっくの昔に発明してたものをまたお金かけて発明し直してるわけだから、無駄な時間とお金。その時間とお金を別なことに使ってればもっと効率的に社会は発展するんじゃない?ってわけ。

というわけで、新しい発明はどんどん公開してもらいましょう、その代わり、その発明者には20年間独占的にその発明を使う権利を授けますよ、というのが特許制度。発明者としては発明が保護される保障さえあれば、安心してその発明を公開し、必要に応じて他人に有償無償で使ってもらって経済的利益を得ることができる。

その強力な保護機能がまた発明を促し、公開された発明にインスピレーションを得てさらなる発明につながり…という循環を狙っている。

 実際、戦後の復興の大躍進には日本人の勤勉さもさることながら、きちんと特許法が運営されていたから(と知財業界では研修等で語られる。)

 どういうことかというと、戦後間もない荒廃した日本を大躍進させるためには日本人の力だけでは足りないわけで、外国人の力、日本人の知らない新技術の吸収、普及も必要だった。その新技術というのは、要するに外国人の所有する発明だったわけで、発明はきちんと保護されていたから、外国人は使用料を受け取ることを対価に安心して日本に対し新技術を伝え、日本はそれを実施、急速に工業を発展。さらにはそれらの模倣の時代を経て海外へ特許技術を輸出するほどに成長するに至っている(と知財系の研修で語られる)。

で、いまの時代は単純な生産は先進国ではやらない。

先進国でやることといえば、付加価値の高いもの。もっというと知識集約型産業へと転換しないといけない。

知識集約型産業というのは、先端技術なわけで開発に多大な時間とお金がかかるわけで、そうやって生み出された技術はせめてある程度、開発者が儲けれないとインセンティブが働かないでしょ、次につながらないでしょ、というわけでこれからの時代ますます知財が大事になっている。

というのが原則で、オープンソースでどうのとか、パテントトロールだとかいろいろいわれることもあるのだけど、それはバランスの問題だったりケースバイケースなこともあり、必ずしも特許制度は時代遅れだ、とはならないことはご留意いただきたい。