どうしてぼくはこんなところに

されば銘記せよ!人の命は短く、その住まう処は地の狭き片隅なり

台湾で英語か日本語で話すと5割増しでモテるけど、中国語だとモテない現象には理由があった!

f:id:chadyukio:20171105150358p:plain

台湾で台湾人とコミュニケーションを取る際、英語か日本語だと好意的に対応してくれることが多い。それで、もっと仲良くなりたいと中国語をそれなりに覚え、仲良くなった人とコミュニケーションを取ろうとすると、少しではあるけれどどこかよそよそしく感じる。ぼくのような日本人が中国語で話しかけると、少しオーバーな言い方をすれば、軽くあしらわれることが多い。日本語や英語ではそんなことはないのに。

 これはどういうことなのか。検証の結果、数人という少ないサンプル数ではあるが同じ意見を得ることができ、その理由もなかなかおもしろかったので共有する。

なお、本稿は文化の違いが面白いという要旨である。ナンパ、出会い系等一切関係ないのであしからず。

 ※ 外国人特権というものがあるとすれば、それは異国で本国よりもモテる、人気者になりやすいということだろう。少し言い過ぎた。正確には注目を集めやすい。外国人だからなにかしらの「きっかけ」は多い。それを活かしてモテたり人気者になれるかどうかは、本人のパーソナリティに依る。

 

ぼくは仕事でたまに台湾に行くことがあって冒頭のようなことを感じている。

それで、何人かの台湾の友人にタイトルの通り、「台湾で英語か日本語で話すと5割増しでモテるけど、中国語だと突然モテなくなるのはなぜなのか」と聞いた。

 

彼らの話をまとめると、

日本語なり英語という自分たちの母語でない言語で、(苦労しながらも) コミュニケーションを取るというのは頭使ってるという知的な感じがして、自尊心や自己肯定感を刺激してくれるからいいけれど、ヘタクソな中国語で話しかけられても、それらは刺激されないし、ただのヘタクソな中国語を話す人に成り下がってしまうので良くないのだそうだ。

 これはすごい面白い。周りから良く見られたいっていう自己顕示欲が先にくるんじゃなくて、まずは「俺頭良いなあ」みたいな自己肯定感というか自己陶酔が先に来るんだから。

一度中国語を話すと外国人じゃなくて、ヘタクソな中国語を話す人に成り下がるという感覚も結構独特だと思うのだけど、これは大陸と政治的に対立してたり同じ中国語カテゴリーでありながら広東語なんていう通じるようで通じない言葉の存在だとかもある程度関係しているのかもしれない。

 

日本人の場合はおそらくそうじゃない。むしろ日本語喋ってくれないと相手にされない。だって、言葉が通じない = 手間がかかる = めんどくさい となってしまうから。

なんとかコミュニケーション取ろうなんて思わない。もちろん、最初は珍しがるし注目も集める。けれど、1周してしまえばそれで終わり。景色の一部やインテリアのようになり、目の前にいてもその存在は消えてしまう。

「どう?外国人の知り合いいるんだよ、俺。すごいでしょ」の自己顕示欲に使われてサヨナラ。 上っ面だけ見てそれで終わり。中身までみようなんて人はいない。だって日本語という1次手段が使えなければもうお手上げだもの。めんどくさいことはしたくないしそこまでの興味もない。とてもドライにみえるけれどそれが日本だとぼくは思っている。(あくまでぼくの観測範囲内での多数派のことなので、異論は大いに認める)

 

こういうのはどっちがどうとかいうのはない。ただ、そういう発想の違いがあるというのに過ぎないし、当然のことながら万人に当てはまるわけでもない。

 

でもそういう一般的な違いというのは面白い。きまだまだたくさんあるだろう。

もっと検証しようと思う。

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養