どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

持たざる者から見た経済史。勝者総取り時代の現在地「エコノミックス」

 

エコノミックス――マンガで読む経済の歴史

エコノミックス――マンガで読む経済の歴史

 

 マンガだからと言って侮ることなかれ。350年の歴史と今を華麗に描いた傑作でなんともわかりやすい。不況が続くのはどういうわけか、債務が生じるのはなぜなのか、などなど、経済という身近にありながらいまいちよくわからないものの実態と課題を輪郭を与えてくれている。何度も読みたい。ほんとうに。アメリカが嫌われる理由というのが分かった気がする。

 それで、タイトルに「持たざる者から見た経済史」なんていれたのは、これは資本主義の歪みを浮き彫りにしているように感じたからだ。

もちろん、基本的にこの350年で人類は劇的に発展した。まだ「経済」なんて言葉がでてくる前は、ほとんどの人が自給自足に近い暮らしだったし、服を買うなんて貴族に限ることで、ほとんどの人は自分たちで作っていたのだ。

そんな暮らしでは生活水準は常に上がっていくなんてことはない。

工業化以前というのはそういう暮らしだったわけだけど、工業化されたことによって、我々人類の生産能力が劇的に上がった。これにより余剰が生まれ、この余剰が単価落としたり、別の生産的な活動への余裕へとつながった。

市場システムと呼ばれるものが生まれたのもこのころ。市場システムとは各人は金銭的にみて自分に1番有利なことをやるという原則のことだけれど、この一見そんな欲望そのままに身勝手なことではうまくいきそうにもないことが、他人との相互作用によって、結果的には社会に必要な仕事が上手く行われるというもの。

 現実はそれだけじゃ上手くいかないんで、儲からないけど大事なことっていうのを政府が行っている。税金使って。

産業革命だとか古い話をしてもピンとこないかもしれないから、身近なところの話をしよう。現在ではみんな当たり前のように持っているスマホ。10年ほど前なら携帯電話と呼んでいたもの。

これはもともとウォール街の「おもちゃ」に過ぎなかった。1%の人間のものに過ぎないしろものだった。

それが技術の発達によって、複製のしやすさとスケールメリットが生かされ、5%、10%、20%、50%、そして99%への人間へと広まり、いまでは最貧国でのライフラインにすらなっている。

良い世の中になっているね、という単純な話になれば良いのだけどそうはならないのが現実というもの。

たしかに、生活は極貧レベルから豊かにはなっているものの、現代はメディアがいうほど、生活レベルは目に見えて上がっていないと感じる人がいる。いや多いのかもしれない。

いわゆる格差というやつで、富めるものがますます富んで豊かになっているけれど、その恩恵は自分たちに全然やってきていない、不公平だ、というもの。

ウォール街のデモだとか、トランプに熱狂するヒルビリーBrexit…。

年収は「住むところ」で決まる  雇用とイノベーションの都市経済学

年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学

 

 そりゃ成長産業だとかその近辺にいないと成長の尻馬に乗れないのだけど、それを差っ引いても特にアメリカはその不公平感が顕著なのかもしれない。

アメリカは資本主義は素晴らしい、自由貿易は素晴らしいという政策を推し進めて、外国に開国を迫ったりしてるわけだけど、その背後にはそこでビジネスをしたい、利益を増やしたい事業家いて、彼らの思うとおりに働いてくれる政治家を支援している…と言われている。中南米親米派の政権を支援したりして。

いろんな痛みを与え、結局利益はその事業家へいくのかと。モノを買い叩いて安く仕入れ、高く売る。利益の大半は川下の事業家で、川上の生産者の薄利になる。健全な経済活動だろうかと。我々庶民は保険にも四苦八苦しているというのに。

 

金融商品が複雑になってしまったのもあるかもしれない。 

価格というのは需要と供給で決まるけれど、その需要には実需と投資目的の2種類がある。

 昔は30円だった駄菓子が、経済成長に伴って今70円になってるというようなのが実需を中心にしたシンプルな資本主義での価格の推移。これが適正価格と呼ばれるもの。

現代の問題は何かというと、この実需よりも投資目的で売買する額があまりにも大きくなってしまったこと。この投資目的というのはレバレッジをかけるのでマーケットへの売買の影響がとても大きくなる。

例えば、リーマンショック前は原油価格は150ドル程度だったのが、リーマンショック後は暴落して30ドルを下回ったけれど、これはつまりそれだけ投資目的のお金が価格を吊り上げていたということ。

ボラティリティがえげつない。

社会主義国はお上がずっと30ドルに据え置いていた価格を急に70ドルに引き上げたりすることも鶴の一声でできちゃうわけで、その危険性を我々資本主義諸国は非難して叩いていたわけだけど、我々が日夜繰り広げているマネーゲームボラティリティと比べるとかわいいものに見えなくもなくて、ほんまに社会主義というはダメなのかと思わなくもない。

そのくせ、リーマンショックで経済をめちゃくちゃしたのに、ウォール街の連中に巨額の税金を投入している(彼らはしっかり儲かっている)。なぜなら倒産するとその影響はさらに計り知れないことになるから。

要は、システムを歪めているのは富裕層で経済に貢献する以上に稼いでいて、格差はどんどん広がるというわけだ。

これはしばらく前にピケティも言っていた。

21世紀の資本

21世紀の資本

 

 歪めているという現実がある以上、富裕層に対して増税すべきだというのが、このあたりのおエライ経済学者のご意見なのだけど、増税が実現したからといって、すぐに我々労働者階級の生活が良くなることはないだろう。というかほとんど影響はないだろう。

じゃあ、いままさに生きている我々はどうするのかって話で…主語が大き過ぎてあれなんだけど、同じように成功して金持ちになりたければ、玉の輿を狙えとピケティさんはバルザックゴリオ爺さんを引いて語っている。

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

ゴリオ爺さん (新潮文庫)

 

ラスティニャック男爵殿が 、ずっと弁護士で通そうとしたとする。大いに結構!それには10年間不自由な暮らしをし、図書館や執務室をもち、社交界に顔をだし、事件をまわしてもらうために代訴人のガウンに接吻し、舌で裁判所の床をなめてまわらなくちゃならん。もしもこの商売で君が成功できるのならば、何もやめろとは言わんさ。しかし50歳で、年に5万フラン以上稼ぐ弁護士が、パリに5人いたら教えてもらいたい!ばかばかしい!そんなふうに魂をすり減らすくらいなら、俺なら海賊になったほうがいいね。だいいち、どこから元手を都合する?そうしたことはどうも楽しくないな。女の持参金を狙うというのも1つの手だ。じゃあ、思い切って結婚するか。そうすりゃ、首に石をぶらさげるようなものさ。それにまた、金が目当てで結婚するとしたら、君の名誉心は、高潔な精神はどうなる?それくらいならいますぐ、世間の因習にたいする反抗を始めたほうがよい。ヘビみたいに女の足下を這いずり回り、姑の足まで舐め、豚でさえあきれるくらい卑しい真似をしたって、せめて幸せになれるというならまだいい。

 

さて、わーわー不平不満をたれたところで現実は変わらないんだから、ぼくも玉の輿を狙おうかね。 

 

 

入門経済思想史 世俗の思想家たち (ちくま学芸文庫)

入門経済思想史 世俗の思想家たち (ちくま学芸文庫)

 

 経済史ならこの本もおすすめ。めちゃくちゃおもしろいし共産主義の考え方がある程度理解できるようなる…気がする、というかぼくはなった。