どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

「いいなあ、俺も外国人の友だち欲しいわ」問題について

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タイトル通りで、これわりとよく言われるんだけど結構嫌いだ。いや、かなり嫌いである。うんざりする。こういうこと言うの、たいてい退屈な人だから。おもしろい人だからとか有名人だからお近づきになりたいとかじゃなくて、「外国人の友だちがいる俺/私、スゴいでしょ」みたいな上っ面だけの虚栄心みたいなのが透けて見えるから。

 その人のパーソナリティーを見てないから。完全にFacebook映えというか外見しか見てないから。だから、そういうことを言ってくる人ってのはたいてい、日本人と同じ東アジア系はだめで、東南アジア系もちょっと違う。要は欧米人、白人を求めている。クールでイケてる奴に見られたいという承認欲求が満たされることが目的だから。

 もちろん、当の本人には直接そんなことは言わないんだけど、ぼくは性格が良くないので「なんで?どうしたの、急に?」なんて聞いてしまう。

「(外国人の友だちが)いないからどんな感じなのかなーって」 みたいことを言うんだけど、正直、めんどくさいこと*1が多いだけで何も変わらない。だってグローバルな時代だから。インターネットで繋がってるし、英語がある程度できるなら、ぼくたちミレニアムズがネットで見てるのってたいして変わらないから。

むしろ、あんまりインターネットしなくて英語もいまいち、みたいな日本人との方がぼくは言葉は通じるけど、感覚とか価値観が違ってて何喋っていいかわからない。本当に。

それにぼくは島根県とか秋田県の人には会ったことも (テレビ以外で) 見たこともない。観光立国にならんとする我が国には世界中から観光客が来るわけで、そういう地方の人の方がよっぽど珍しい。たぶんそういう人の方がよっぽどおもしろい。

ぼくが神戸にいたとき、鹿児島から来たばかりの人が「神戸って雪は降るの?ちょっと期待してるんだけど。見たことないから。鹿児島はね、雪は降らないけど、火山灰が降るんだよ」言ったんだから想像を超えてる。

話をもとに戻すと、ぼくはそういう上っ面だけの人たちを小バカしているわけだけど、じゃあお前はどうなんだという話になろうと思う。

ぼくは外国人の友だちが多いように思われることが多いのだけど、それは単に日本人の友だちが少ないから多く見えるに過ぎない。実際はそうでもない。ほんとに普通くらい。

ぼくは孤独に悩み孤独を愛す人生を送っているわけだけど、そうすると圧倒的に独りで過ごす時間が多くなる。建前では勉強や個人プロジェクトをやっているわけだけど、 もちろん四六時中やっているわけではない。基本的に独りだから時間の融通も効く。

 何が言いたいかというと、日本に来たばかりの外国人とお互いのニーズがマッチするのだ。来日当初というのは右も左もわからないことだらけだ。友だちもいない。暇を持て余す。

そんなときに、英語がある程度できて日本の文化に詳しい暇な奴が現れたらどうだろう?よっぽど性格が悪いとかいう問題点でもないかぎり友だちになろうと思うはずだ。

ぼくにしたって、たまには遊びたいときがある。

 というわけで、出会うというきっかけさえあれば、ぼくらはつるむようになる。登山したりカクテルパーティーを催したり、ちょっとした買い物に出かけたり。

そういうのが何度かあったり、友だちの友だちみたいな繋がり方をして現在に続く、というわけだ。なんら特別なことはない。

その肝心の出会いのきっかけというのもLanguage Exchange のアプリだったり異文化交流会だったり、道で迷ってるっぽい人を助けてあげるであったりいたるところにある。

ちょっと勇気を出すだけで良い。ただそれだけ。

 

そういえば、ぼくは自分の英語力が不甲斐ないこと(TOEIC755程度)をちゃんと知ってるから、英語ペラペラで外国人の友だちいっぱいいるんだって?みたいな絡み方されても全然嬉しくなくて、むしろ困ってしまうのだけど何か良い返しはないのかね?

・そういう時代だから?

・ぼくらは少子化で上の世代よりも(同級生が)少なくて、その不足分というか寂しさを海外から補ってるんです?(長い…)

・日本人はぼくを相手してくれませんからね?(ちょっと悲しくないか…事実だが…)

 

 

*1:文化や宗教によっては、火曜日は肉食べないとか、ハラルじゃないとダメとかがあって、ご飯食べに行こうと気軽に誘っても日本だと、店の選定はぼくの役回りで、選択肢は狭まるし、確認事項は増えるは普通よりも手間がかかるという話。最初はこれが異文化か、すごいなーなんて思うんだけど、しばらく経つと行く店も食べる食事も毎回同じようなものになってしまっていることに気づく。よほど大きな街か多様性豊かなところでもないかぎり、インドカレー屋でベジカレーだ。それは、会話だけじゃなくて食事もしっかり楽しみたいぼくみたいな人間にとっては、取るに足らない些細なことではあるんだけど地味に退屈に感じたりする。