どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

小忙しい現代で小説世界に没入したっぷり余韻に浸る時間を過ごすという贅沢!

秋の夜長に…なんてことはまったくないんだけど、ぼくは年に何度か無性に小説を読みたくなるときっていうのがある。まさに今、そういう時期の真っ只中にいるわけなんだけど、考えてみるとこれは物凄く贅沢な時間だ。こんなこと労働階級のぼくには許されてはいない。

 ぼくは普段、仕事と私事に追われ心に余裕がない。せっかくNetflixに入会してるのに、どんなにそそる映画でも2時間以上の長丁場は観れない。せめて1時間半。最近はもっと余裕がなくなって30分くらい。この時間だとアニメとコメディだけになってしまう。

実際は立て続けに2話、3話と観て結局1時間半くらいになってしまうのだけど。

それで、小説なんていうのはもっと時間がかかる。早くて3日、長ければ2週間くらい。

良い小説は身体の隅々まで染み渡る。ともすれば器が少し広がる。小洒落た言葉を使いたくなる。たった1文読んだだけで軽く30分はその余韻に浸るときだってある。10分だけ、この章だけと区切って読むつもりが気づけば、2〜3時間経ってしまっている。それでもやめられない。続きが気になるというのもあるけれどと、もう少し向こうの世界にいたい、空想を続けたい、センチな気分に浸りたいという欲求に抗えない。ナルシズムに溺れたいといってもいいかもしれない。

現実世界ではこうしてる間にもタスクはどんどん破滅的なまでに積み上がっているというのにね。

このどうしようもない営みは、現実世界で機械のように正確さとスピードを求められることへのロマンチックな抵抗なのかもしれない。(今日はこれが言いたかった…)

 

そんなわけで、みなさんにもぼくと同じようにさらに追い込まれてほしいので、ぼくが愛してやまないサマセット・モームの作品を紹介したい。ぼくはシニカルでロマンチックなモームがたまらなく好きなのだ。

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 モームと言えばこれ。

ロンドンで株の仲買人をしていた男が40歳を過ぎたある日突然家を飛び出す。その男を追って「わたし」が説得しに行くのだけど、彼には人生をかけてやりたいことがあって…。という少々ぶっとんだ人を通して人間の本質というか欲望の所在を探る作品。

私たちは、言葉のわからない外国に来た旅行者だ。美しいこと、意義深いこと、言いたいことは山ほどあるのに、実際に言えるのは会話教本の例文に限定される。頭がアイデアで沸き返っていても、口は「これはペンです」としか言えない。

 

セリフ回しがいちいちおしゃれ。

どの作品にも言えることなんだけど、読後はロマンチックになりたくなるし、英国紳士になった気分になる。

ぼくのオールタイム・ベスト。

 

片隅の人生 (ちくま文庫)

片隅の人生 (ちくま文庫)

 

 東南アジアを旅する過程を通して、そこに住まう人々の営みと人間の2面性を華麗に描いた作品。人間それぞれいろんな顔を持っているけれど、たいてい良い面しか見せないし見せたくない。あるいは身も蓋もない厳しい現実や真実は知りたくなくて、できれば美しい幻想の中で生きたいもの。人生とは、みたいな少し壮大なことに思いを馳せたくなる作品。

いったい、何のために金を儲けたりするのさ。もちろん、日々の生活を送るために、必要なものは稼がなければいけない。しかしそれも結局は、想像力を満足させるためじゃないのかい。きみはどう思う。海上からあの島々を眺めたとき、きみの心は喜びで溢れただろう。ところが上陸してみたら、鬱蒼たるジャングルがあるだけだった。いいかい、どちらの島が現実の島だと思う?どちらがきみに豊かなものをあたえ、どちらがきみの記憶のなかに大切にしまっておけると思う?

オールタイム・ベスト。

 

雨・赤毛 (新潮文庫―モーム短篇集)

雨・赤毛 (新潮文庫―モーム短篇集)

 

 短編の最高傑作!なんて言われるモームの「雨」が収録されている短編集。けれど悲しいかな、身も蓋もない現実というのが顕になって幻想が入りこむ余地が少なくなった現代では、いってしまえば退屈に感じざるを得ない。

ただ、赤毛はすごく良い。暖かな空気感に包まれる。かなりロマンチック。酔える。

幸福な人間には歴史はないと言うが、確かに幸福な恋にそんなものはない。彼らは1日じゅう何もしなかった。だのに1日1日はあまりにも短かった。

 

 

週がやがて月となり、そして1年が過ぎた。 2人は相愛しあった、まるで ―いや、燃えるような情熱、とは俺は言いたくない、情熱というものはなにか一抹の悲哀、一脈の苦悩を免れないものだからだ。だがこれは、初めて相見た若者がお互いのうちに神の姿を認め合った、その最初の日をそのままに少しも変わらない心情を傾け尽くした愛であり、自然純情の愛だったからだ。

非常に味わい深い。

 

 

英国諜報員アシェンデン (新潮文庫)

英国諜報員アシェンデン (新潮文庫)

 

 著者自身、戦時中はスパイの経験がある。その経験を基にして描かれたであろう短編集。007やミッションインポッシブルとは異なる、世界を股にかけるスパイの地味な任務の中で起こるちょっとした出来事や監視対象の機微なんかを描いているんだけど、なぜか引き込まれてしまう。

教養のある者が馬鹿話をおもしろくきかせることができるように、ぜいたくに慣れた者は。しかるべき傲慢さで、上っ面だけのむなしい飾りを見下すことができる。

 

パリでささやかな情事を楽しむのもいいような気がした。それも人生だ。相手がミュージック・ホールの曲芸師というのも目先が変わっていていい。中年になってあの頃アクロバットをやっていた女との情事を楽しんだことを思い出すのも悪くない。

 

 

コスモポリタンズ (ちくま文庫―モーム・コレクション)

コスモポリタンズ (ちくま文庫―モーム・コレクション)

 

世界中の都市を旅した経験から着想を得たであろう短編集。神戸が舞台のものも。

モームらしい短編のラインナップ。ここでいうモームらしいとはセリフ回しであったり、モームの人生観や女性観が垣間見れるところ。

人間はたいてい、そのあたえられた環境のまにまにその生涯をおくるものだ。宿命によって定められた境遇を、やむをえぬとあきらめるばかりか、むしろ、こころよくそれを受け入れることさえある。そのような人たちは、安んじて軌道の上を走る市街電車のようなもので、はしっこい安自動車が、車道から出たりはいったりしながらえらい勢いで走ったり、広々とした野原をいかにも陽気に突っ切っていったりするのを軽蔑の眼で眺める。私はこの種の人たちに敬意を表している。かれらは、よき国民であり、よき夫であり、よき父親であるからだ。それに、むろん税金を負担する者もいなくてはならぬわけだが、それを払っているのはこういう人たちなのだ。しかし、私個人としては、そういう人たちを面白い人種とは思わない。その数こそ実にすくないが、人生をしっかりと自分の手のなかに握って、それを自分の意のままに形作っていくような人たちに、私は魅力を感じるのだ。

 

女ごころ (ちくま文庫)

女ごころ (ちくま文庫)

 

肩書きの立派な年配の男性、小金持ちのプレイボーイ、貧乏な理想家の若き難民。この3人の中で揺れる未亡人のお話。

ぼくはこの未亡人みたいな女が心底嫌いなんだけど、その揺れ動く女心の描き方が巧みで、ほんとにイライラする。(褒めてます) 

知るかぎり、僕が自由にできる人生はこの1回だけ。とっても気に入っているよ。折角与えられた機会を活かさなかったら、それほどバカなことはないんじゃないか。僕は女が好きだし、不思議なことに、向こうも僕を好きらしい。僕は若いし、若さなんていつまでもあるものじゃない。機会が与えられている間に、できるだけいい思いをしてなにが悪い?

 

ジゴロとジゴレット: モーム傑作選 (新潮文庫)

ジゴロとジゴレット: モーム傑作選 (新潮文庫)

 

 ついこの間、読み終えた。ジゴロとジゴレットっていうタイトルだけれど、快楽に溺れる短編集ではない。表題のジゴロとジゴレットというは苦労してディナーショーの花形になったパフォーマー夫婦の抱える苦労を描いている。この短編集は派手さはないけれど、じんわりくる。「すべきことをしただけ。小川までいって、沈めたの。死ぬまで」というセリフが強烈。

みんながみんな、芸術や思想に慰めをみいだすことができるわけではない。現代の悲劇は、そういう一般の人々が希望を与えてくれる神への信仰を失い、この世で手に入れられなかった幸福をもたらしてくれる復活を信じられなくなったことにある。そして、信仰に代わるものをみつけることもできないでいる。

苦しみは人を高めるという人がいるが、そんなばかなことはない。普通に考えれば、苦しみは人を狭量に、気むずかしく、利己的にする。

 

 

 それで、ぼくは今、長丁場になることが見えていたからこれまで避けてきた「人間の絆」という大作を読んでいる。それも少しずつなんてわけはなく、しっかり貴重な週末を犠牲にして。まるで貴族にでもなったかのように。