どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

ぼくは司法書士にはなれなかった。

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かつてぼくは司法書士になりたかった。

 田舎の高校卒業後、法学部に進学したぼくは1年生のとき行政書士に挑戦した。

結果は惨敗。合格に最低限必要な180点はもちろん100点も取れなかった。

 

仮に、行政書士試験に受かっていれば、ぼくはロースクールに進学して弁護士になろうと思っていた。法律の才能というか適正があるかどうかのリトマス紙として考えていたのだ。

当時のぼくは世間知らずの若者誰しもがそうであるように少しばかり尊大で、たぶん受かるだろうと思っていた。進学のために学部の成績を上げておくのと、どこに進学しようかと考えていた。当然プランBなんて考えてなくて、困った。

というか、なにかの才能がないだなんて認めたくなかった。受け入れられなかった。だって、ぼくのその行政書士試験に合格できなければ法学に適正がないという仮説が正しいのならば、ぼくは適正のないことをあと3年も卒業のためだけにやり続けないといけないから。

弁護士になって、みんなが羨むブルジョワな生活を送る人生を思い描いていたから。

 

それで、せっかく法学部に進学したんだから法律関係の仕事がいいなと思いどうしようかとおもっていたときに司法書士という仕事を知った。知名度はないけれど、そこそこ良い暮らしができそうだった。

それに、当時からぼくは会社の名前じゃなくて自分の名前で仕事したい、勝負したいと思ってたから士業というのはたまらなく魅力的だったのだ。

 

20歳の春から司法書士受験生活が本格的に始まった。毎日毎日ひらすら参考書と向き合う日々。別に、周りの大学生のように遊びたいと思ったことはないけれど、友だちが減っていく、できにくいというのはなかなか苦しかった。

覚えることが多すぎて「たまには…」というような気分にもなかなかなれなかった。勉強が思うように進まない焦りがいっぱいだった。

21歳の夏、初受験、そして不合格。1発で受かる人なんてほとんどいないと聞いていたこともあって、それほどショックはなかった。ぼく自身、在学中に受かれば良いと思っていた。

 その後の結果は、

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 ↑でも少し述べたけれど、ダメだった。

20歳から23歳まで4年間、みんなが就活してる間も就活はせず、大学時代を卒業後も受験浪人として、毎日図書館に向かう日々を過ごしたけれど報われなかった。

「よく毎日毎日勉強できるね」なんて言われたけれど、正直な話、それはぼくに「絶対に司法書士になるんだ」という堅い決意や根性があったわけではなくて、たぶん惰性もいくらかあったと思う。それに、何年もいろんなものを犠牲にしてきたんだから、いまさらやめられない、いまさら何をすればいいのかわからないという事情もあった。

気づけば田舎から出てきた世間知らずのまま、24歳になっていた。

ぼくはいま27歳で、遅れた分を、結果的に空白になってしまった4年間の埋め合わせを行っていると言っても過言ではない。というかその通りでどんどん結婚や出世して次のステージへ行く同級生に追いつこうとしている。平静を装って。

驚くことに、それほど後悔はしていないし、全然悲観的でもない。

もっと勉強していれば、受かっていればとか、そもそも司法書士になろうと思わなければ…なんて考えたこともあるし、いまでもたまに「ミスったなー、あのとき」「あの無為な4年がなければ…」なんて思うこともあるけれど、結局、起こらなかった未来は上手く想像できない。受かって司法書士になりました!くらいまでしか想像力が及ばない。その先はまったくの未知。まして司法書士になろうと思わなかった未来なんて想像もつかない。バイトして飲み会してサークルでわいわいで就活?…。それにそもそも司法書士に興味を持たなければ大学の外のことに興味を持っていなかった可能性だって十分ある。そうなると今と趣向は全然違っているだろう。

その人生と受けて落ちて就職した今現在の人生と比してどうこうってさっぱり。

その受験失敗残念な現実のシナリオの人生だって100%法律の勉強ばかりしていたというわけではなくて、30%くらいは本を読んだり旅をしたりしていた。結果的に、その30%がいまのぼくを救ってくれていて、その30%がいまのキャリアを作っていて、これからのキャリアも作ろうとしている。人生は何が起こるかわからない。

だからもちろん100%じゃないにせよ、ぼくはいまのキャリアと目の前に広がっている可能性に満足している。結果的に、司法書士になれなくて良かったとさえ思っている。

司法書士は所詮、国内でのみ通用する仕事で、その国内市場はどんどん縮小しているし、ブロックチェーンなんていう取引の真正を保つ仕組みがでてきて、将来的には司法書士という仕事自体なくなる公算が高い。少なくとも儲けは減るだろう。もちろん、これは司法書士になれなかったぼくの僻みも多分に含んでいる。

ぼくは自己肯定感が強いのだ。

たしかに失ったものは大きく、得たものを少ない。(一般的な大卒が有しているであろう卒業旅行の思い出もない)

けれど、失敗したからと言って死ぬわけでもないし、まあなんとかなってる。

よく「1つ扉が閉じると別の扉が開く」みたいなことを言うけれど、その通りでだからなんとかなるんだけど、この「まあなんとかなるだろ」と思えることがすごく大事で、あらゆるハードルを下げてくれるものだと思っている。

そのことに気づけただけでも良かった。

たぶんこれからも、自分にとって難易度の高い挑戦するときの後押しになってくれるはずで、挑戦を続けるというのは、そのうちのいくらかは報われるはずなわけで、それはつまりぼくの人生を豊かにしてくれることにつながると思う。

あぁ、なんて素晴らしい自己肯定感なんだ。