どうしてぼくはこんなところに

冷静と情熱の間で彷徨う人の雑記ブログ

5年ぶりの1人旅。旅の終着は5年前と同じマレーシア

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5年ぶりに1人旅をした。

旅行自体はその時々の彼女だったり、友だちだったりとそれなりに行ったりしているのだけど、バックパック1つ背負っての1人というは久しぶりだ。

まあ、行き先は既に決まってて、宛のない旅というわけではなかったのだけど。それでも、初めて地球の歩き方もガイドブックもなしで旅立つというのは旅に不確実性が増えてなかなか楽しいものだった。タクシーを使えば20分の道のりを2時間半かけて歩いたり、道に迷い途方に暮れかけたところで優しい人に出会いなんとかなったり。現地の友だちと待ち合わせを成功させるために必死でFree Wi-Fi を探したり。

EU以外で陸路で国境を越えたのも何気に初めてで、もちろんそれは全然たいしたことないんだけど、ぼくの気持ちを高ぶらせるものがあって、少しばかり自分の軌跡を噛み締め、感動させるものがあった。自己満足に過ぎないのだけれど。

 

5年前、ぼくは大学4年生で フィリピンに留学とNPOストリートチルドレンを支援する活動をひと夏やって、せっかくだからとインドネシアとマレーシアを周ってから帰国した。

 

5年前、ぼくは自分が司法書士になるものだとばかり思っていて、就活なんて一切してなくてその年の試験がダメでも次の年も受けようとしていた。

当時のぼくのライフプランは、旅行好きということもあって、司法書士の資格を取ったら、2年くらいはどこかの事務所で修行して、その後独立。誰かパートナーを見つけて法人化して、半年働いて半年休む (長期の旅行に行ったり、司法書士以外の好きな仕事をやる)、みたいなことを本気でやろうとしていた。半年働いて半年休むというのは毎回同じシーズンに休みが固定されてしまうからそうならないようなローテーションも考えたりして、つまり、結構本気だった。

これは、

「週4時間」だけ働く。

「週4時間」だけ働く。

 

という本に多大な影響を受けてたからなんだけど、その後、いろいろあって結局ぼくは司法書士にはならなかったし、なれなかった。

 

 それで、最終的な行き先は違うけれど、偶然にも今回の旅の終着地は5年前と同じマレーシアだったこともあって、懐かしさと当時の自分の心境だとかいろいろ思い出して、少し1人で恥ずかしくなったり、そういえば当時のぼくはこういうのが好きで、こういうことを考えていて、それをすごく大切なものとして大事にしていたななんて思いを巡らせることができて、なんというかとても貴重な時間を過ごせたように思う。

 

5年前、旅先で沈没とかしちゃうダメな大人と既に何人か出会っていたこともあって、ぼくもバックパック1つ背負って宛のない旅を何歳になっても続けるのだろうなと思っていた。

あれから5年経った今回、以前ほど1人旅に対して気分の高揚を感じなくなっていた。ひょっとしたら冒険的でない1人旅はもうしないかもしれない。

旅先の選定を少しばかり間違えたとか、期間が短いとか細かなところもいくつかあるんだけど、最大の理由は別にある。

旅人というのは旅先で客人として扱われるのが通例だ。

旅先で出会う人の人生に少なからずの影響を与えることはあるかもしれないけれど、基本的に旅人は傍観者であり、彼らの文化をそっと覗き見る存在に過ぎない。

これは良いとか悪いとかではなくて、そういうものであって、他人の文化慣習に口を挟むのは、お前はアメリカかと言いたくなるほど野暮な行為だと思う。

とにかく、文化の違いを五感で感じ取って、自分の持つ文化や常識と比べて、そんなことがあるのか、ここは少し似てるな、などと楽しむのが旅だとぼくは思っている。

それで、そこにどんな不満があるかというと、ちょっと寂しいなと思ったのだ。ぼくはもっと世界と関わりたいと思った。

ぼくは今でも上記の、半年働いて半年休むっていうライフスタイルを求めているところがあるけれど、プライオリティは「もっと世界と関わる」よりも劣る。

どういう形で関わるかなんて全然わからないんだけど、ただの旅行者としてほんの束の間、彼らの人生を覗き見るだけというのは、なにか物足りなさを感じてしまうようになった。

たぶん、いろんな人を巻き込んで社会になにか大きなインパクトを与えたいとかいう身勝手なエゴなんだけど、要はその土地の人と仕事をしたいのだと思う。

とにかく、引きこもりがちで基本インドア派なぼくは「世界ともっと積極的に関わる」というのが今後のテーマの1つになってくるのだと思う。

 

どうやって?っていうのは、ほんとにさっぱりで少し困ってるんだけど。