メジャーリーガーのイチローは出身は愛知県だけどオリックス時代を過ごした神戸をとても大事に思っているらしい。
今ある僕の人格だとか性格だとか考え方というのは、ほとんど神戸で作られたものなんです。一番何かを感じて成長する時期に、神戸にいた。出身は愛知県ですが、僕にはふるさとが二つある。
(Wikipediaより)
と語っている。
ぼくも神戸出身というわけではなくて、同じように1番感じやすい大学時代を神戸で過ごした。今の性格だとかなんとかというものは神戸で育まれたと思っている。 かっこつけて重ね合わせているというわけではなくて、ほんとにそう思っている。
メンズ・ノンノやカジカジを買って、暇さえあればとりあえずトアウエストや栄町*1に行って古着をあさり、レトロでクラシックな雰囲気漂うカフェで絵になる風景の一部になろうとしていた。異国情緒漂うお洒落な神戸がぼくは大好きだった。
この流れでいくと、バイト先はお洒落なカフェかセレクトショップということになりそうだけれど、そうではなくてぼくのバイト先は下宿先から徒歩1分の韓国料理店。理由はただ近いから。そしてまかない付き。
在日2世だか3世だかのいかついおっさんがオーナーで完全に日本育ちだったけれど、料理長は韓国から連れてきたアジマ*2。オーダーを通すのは韓国語で、店内は韓国ドラマやなんやらのポスターにまみれていた。思えば、それはぼくにとっての初めての異文化経験だった。田舎からでてきたばかりだったぼくにとっては、何か壮大なコントをやっているようで一挙手一投足がおもしろくて、周りの人に「なんかスゴいんだけど」という話をしていた。
そこでの先輩バイトで最初に仕事を教えてくれたのが中国からの留学生の李*3さんだった。
李さんは当時25歳で旧満州の地域の出身で、神戸で日本語を勉強していた。ぼくより数ヶ月先に神戸に来たばかりで中国でも日本語を勉強していたけれど、まだ流暢とは言えないレベルだった。京都でニューロサイエンスだかなんだかを研究したいのだと言っていた。小柄で細くて物静かだけれど、前向きでよく笑う人だった。
日本人で、世代の近い同性というのもあったのか、色んな話をした。
その中で、李さんは15歳の時から両親と会っていないということを知った。
15歳からということは10年だ。当時19歳になったばかりのぼくにとっては人生の半分なわけで、ちょっと信じられなかった。というか想像できなかった。
なぜそんなことになっているかというと、彼の学費を稼ぐためなのだという。
彼の学費を稼ぐために両親は中国を離れ、ロシアで働いているのだという。
それで今度、大阪で両親と会うのだという。
李さんは心なしかそわそわしながらニコっとした。
ぼくはこれまでそういう似たような境遇の人数人に会った。
敵わないなと思った。背負っているものが違い過ぎる。
ぼくは、田舎から立身出世を夢見て大学へやってきたわけだけど両親が望んでいたのは公務員で、ぼくはそのへんの大学生よろしく勉強そっちのけで神戸での学生生活を楽しんでいた。無責任に自由を気取っていた。
そんな人たちと、卒業後にグローバルでやり合うのだと想像したらハングリーさでどうやったって勝てないと思った。
ぬくぬくと温室で育ったぼくは、置かれた環境も何もかもが違い過ぎる。
普通にやったって勝てない。
だから、同じように退路を絶ってハングリーになって、彼らと同じ環境に身を投じても二番煎じにもなれない。決して追いつけない。
だから、ぼくはぼくが持っているもの、言葉は悪いけれど頼れるものは全部頼って、使えるものは全部使おうと、静かに思った。
同時に、なりたいもの、やりたいことがあるならば、どうやったらできるか、どれくらいの時間でできるのかを考えるようになった。
この考えは、ぼくの神戸のもう一人の英雄から来ている。
彼は、ボクシングで世界3階級王者で10度の防衛に成功したりと文字通りの英雄なわけだけど、そのスタイルがかっこいい。
ぼくの記憶が正しければ、彼は対戦相手が決まると、まず対戦相手を分析する。
分析して相手のクセを理解する。理解した上で、今度はその相手のクセに対応した動きをトレーニングする。考えずとも反射的に反応できるようになるまで、何ヶ月もかけて。つまりその対戦相手専用のスタイルを身につけるわけだ。
ぼくはその様子をテレビで観て感動した。単調で退屈なトレーニングを延々と続けていたからだ。
その大変を理解するとともに、そうすれば勝てるんだという思いをぼくに芽生えさせた。
ぼくもあれこれ言い訳しても仕方がないのだから、置かれた状況でぼくなりのベストを尽くそうと思った。そのときは、そのエネルギーの向け先はわかっていなかったのだけど。
ところで、数年後、同じく神戸で1度李さんと再会したのだけど、李さんは最初の1年を神戸で過ごした後、次の1年を大阪だか京都だかで勉強して、次の年に立命館大学に進学していた。
相変わらずほっそりしていて、垢抜けてなくて、李さんらしいといえばらしかった。とりあえず、無事に大学に進学できて、ハードルを1つ越えることができて安心という感じだった。バイトと研究とで忙しいけれど、ようやくやりたいことのスタート地点に立った、という感じで、日本語が流暢になっていたのもあってか、良く喋っていた。
いつか、両親も日本に呼びたいと言っていたのが印象的だった。